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(分裂αパターン終了時までの設定で書いてます。) 朝、八時。 いつもならもう少し早く起きているところなのだが、何故か今日だけは寝坊した。 別に遅刻の可能性を心配するほどの遅れではない。HR前にハルヒと会話する時間が減る程度の話だ。 早い時間に登校すれば新入部員選抜についていろいろと面倒なことをぬかすだろうから、ちょうどいいと言うべきだろう。 眠気のとれない朝にきびきびと行動しろというのはとても酷だ。 トーストに目玉焼き、煮出しすぎて苦くなったコーヒーを腹に流し込み、だるい感じで家を出る。 犬がやかましいほど吠える家の横を過ぎ、大通りを歩く。 いつもより遅く家をでたからなのか、普段見る顔が少ないな・・・いや、高校生自体が少ない。 もしかすると、俺は思ったよりもヤバイ状況なのではないかという思考が頭を掠めた。 時計代わりにしているケータイを取り出そうとポケットをあさったが、無い。 ・・・寝ぼけて忘れてきたらしい。 余裕かましてたらたらと飯を食っている場合ではなかったな。 現在時刻も分からず、周りを見回しても北高の生徒が見つからない。 遅刻を覚悟するべきだろう。 ちなみに言うが、北高に通いはじめてからこれまで一度も遅刻したことなどない。 SOS団の集まりではいつも五分前どころか三十分前行動をしなければいけないくらいなんだからな。 久しぶりに、全速力で大通りを駆け抜ける。 効果音をつけたくなるほどの速さではないが、俺にしてはかなり急いでいるつもりだ。 こんなに走るのはいつ以来だろうか・・・などと考えているうちに、坂が見えてきた。 俺たち北高生を苦しめる早朝ハイキングコース。 通学路の最後の砦。最後の試練とも言うべきか。 持てるすべての力をふりしぼり(おおげさか?)坂道を駆け上がろうとしたその時。 ついさっきまで誰もいなかったはずの俺の眼前に 人が・・・急に現れたような感覚がして 止まれず・・・・衝突した。 「痛ってぇなこの野郎!!・・・って」 「痛た・・・って、あ!!」 「おまえは・・・」「あなたは・・・」 『昨日の!!』 俺がぶつかったのは、昨日文芸部室(現SOS団アジト)に来ていたあの子だった。 ハルヒの話を聞いたあと、自ら拍手を始めたただ一人の女子。 そんな無垢な少女に「この野郎!!」などと汚い言葉を吐いた自分を責める気持ちである、が。 その前にするべきは・・・早く起き上がることだった。 長門と同じくらいの背丈。体重は長門よりも軽いはず。 なのに一年生のころのハルヒと張り合えるくらいの胸を有している彼女は、 真っ直ぐ走る俺の真横から来たそいつは今、俺の上にかぶさっている。 大きすぎず、かといって物足りなさを感じるほど小さいわけではない胸が俺の体に・・・って!! そんなふしだらな考えをしている場合ではない。 通行人の視線が・・・ものすごく痛いからだ。 「頼むから、早く起き上がってくれ。周りの目が気になるから・・・」 俺の言葉で自分たちの置かれている状況に気がついたのか、急に驚いて飛び上がった。 「あ!!・・・・・ご、ごめんなさい」 「いや、こっちこそ悪かったな」 むしろ、ありがとうと言いたいくらいである。おかげで眠気が覚めたしな。 「急いでいたんだ。寝坊してな・・・ケータイ忘れてくるくらい寝ぼけてた」 俺のことを心配してくれたのか、 「そうなんですか・・・・大変だったんですね」 と気遣ってくれた。やはり、昨日来た一年生の中では一番優秀なのかもしれない。 「それで・・・今何時か分かるか? ケータイも腕時計も無くて分からないんだよ」 そう俺に言われて、左腕につけた腕時計をちらっと見た。 小さめの、かわいらしいアナログ時計だ。 「えっと・・・八時十七分です」 遅刻三分前だ。生活指導の教師が玄関で睨みを効かせてるころだろう。 この坂道だ。全速力でもどうなるか・・・・分かったものではない。 っと、不安がるばかりの俺の思考を、その女子の言葉が遮った。 「走りましょう、先輩!!」 久しぶりに「キョン」以外の名称で呼ばれたような気がするが。 「あ、あぁ」 日差しを跳ね返すアスファルト。くぼみにできた水溜り。 木々に芽生えた若葉。それにとまる虫たち。 まさしく春の風景というべき様子の坂道を駆ける。 ・・・初々しい後輩と共に。 「はぁ・・はぁ・・・」 「何とか間にあったな・・・ぎりぎりだ」 「そうですね、先輩・・・あ、先輩の名前って何でしたっけ」 「ん、名前か?」 「はい。先輩の名前って何ですか?」 ・・・ついに来た。俺の名前を出せる瞬間が!! 皆様、発表しよう。俺の、俺の本名は・・・!! 「・・・あ!! 思い出した!! たしか、「キョン」でしたっけ?」 少し遅かったようだ。 「え、いや、それはあだ名で・・本名はだな、」 「いいえ。団長さんが「キョン」って呼んでいるんですから、見習わないと」 そんなとこ見習わないでくれよ。 「じゃあ、また会いましょうね、キョンさん」 「あぁ・・・またな」 俺の名前を出せる日はいつになるのやら。 ・・・って待て。あいつの名前を俺は聞いていないじゃないか。 「おーい、後輩」 「何ですか? キョンさん」 「お前の名前、まだ聞いてなかっただろ」 「あたしですか? あたしは、[わたぁし]です」 [わたぁし]・・・以前かかってきた電話の主が名乗っていたかな。 「この前の電話はお前か」 「えぇ。 近くに住んでいる先輩に番号を聞いたんです」 誰だ。他人の電話番号を知らない奴に教えるなんて・・・。 個人情報保護法ってのがあるのによ。 「秘密です。言わないようにって言われたので」 ますます気になるが・・・。 「それよりも、ちゃんと名を名乗ってくれ。[わたぁし]じゃわけが分からん」 「あ・・・やっぱり説明しなきゃだめですか」 「説明って、どういう意味だ?」 「[わたぁし]って言うのには理由があるんですよ。えっと・・・生徒手帳どこにしまったっけ・・・あ、あった」 生徒手帳を出した後輩は、顔写真の貼ってある方を俺の目の前に出した。 そこに書いてあった文字を見る。 「渡 舞衣。普通なら[わたり まい]って読むんですけど」 「[わたし まい]って読むわけか」 それで一人称を「あたし」にしないとややこしいわけだ。 [わたぁし]と強調するのは「わたし」と区別するため、か。 お互い、変な名前なんだな・・・ホントに。 「そういうことです。それじゃ!!」 そう言って、一目散に駆け出していった。 元気があって初々しい。一年生の鑑だ。 ・・・さて、俺もそろそろ教室に向かわなくてはいけないな。 チャイムが鳴ってしまう前に。 谷口や国木田、そして我がSOS団の長。 涼宮ハルヒの居る教室に。
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事件が起きたのは、高校3年生の春だった。 SOS団に引きずりこまれて約2年が経過し、もうすっかり身体のリズムがSOS団に順応してしまった。 そして俺は、1つの決心をした。ハルヒに告白をすることを。 なあなあで来た俺達の関係を、1つの形にしようと思い立ったってわけさ。 部活終了後、俺は他の3人を先に帰らせてハルヒと二人きりになった。 「なによあたしだけ残して。言っておくけど、くだらない用事だったら死刑だからね。」 「ハルヒ……俺と付き合ってくれ。」 「……え!?」 「お前が、好きなんだ。」 「……このバカキョン!!言うのが遅いのよ!あたしだってアンタのこと好きだったんだからっ!」 と、まあこうして俺とハルヒはめでたく付き合うことになったわけだが、 翌日、部室でとんでもない事実を告げられた。 「よう。ハルヒは掃除当番で遅れるんだとさ。」 「あなたに伝えたいことがある。」 いきなりなんだ。またハルヒ絡みか? 「そう。……涼宮ハルヒの能力が、完全に消失した。」 「な、なんだって!?」 いきなりだなオイ!そんなに突然消えるもんなのか!? 「いきなりでは無い。徐々に減少傾向にあった。おそらく昨日の出来事がトリガーになったと思われる。」 ああ、昨日の……って、確かまだみんなには話して無かったと思うが? 「終わった後二人で残ったことを考えれば、想像はつきますよぉ。 ようやく、って感じでしたもん♪」 なるほどね。朝比奈さんですら予想できていたならば、長門や古泉にとっちゃ確信的なものだったんだろう。 ん?そういや、さっきから静かなヤツが一人いるな。 今までの言動を考えたら、こういう時こそ多弁になる男のはずだが。 「古泉、やけに静かだな。悪いもんでも食ったのか?」 「いえ……そういうわけではありませんよ。」 と言って古泉は笑顔を作る。だがその笑顔は、いつもより30%減って感じだ。 「よくわからんが、お前もようやく閉鎖空間から解放されたんだろ?もっと喜べばいいんじゃないか?」 「ええ……そうですね。あの……」 古泉が何かを切り出そうとしたその時 「やっほー!!遅れてごっめーん!!」 けたましくハルヒが入ってきた!相変わらずのテンションだな。 能力を失ってもハルヒはハルヒだ。俺はそんなハルヒを好きになったんだからな。 「あ、そうそう。あたしキョンと付き合うことになったから!」 まるでいつも通りイベントを持ってきた時のように軽く発表した。 おいおい、もっとムード的なものが……まあバレバレだったんだけどさ。 「おめでとうございますぅ!お似合いだと思いますよぉ!」 全力で祝福してくれる朝比奈さん。 あなたに祝福されれば嬉しさ120%というものですよ。 「……おめでとう。」 淡々とつぶやくように祝福してくれる長門。まあここまではいつものテンションだ。だが…… 「おめでとうございます。心から祝福させて頂きますよ。」 その古泉の笑顔は、やはりどこか陰りがあった。 散々俺達をくっつけようとしてたくせにどうにも元気が無い。 まさかハルヒのことが好きだったのか?……それは無いだろうな。 と、柄にも無く古泉の心配をしているうちに、部活は終了となった。 明日は土曜日。不思議探索は無い。 代わりにハルヒと二人きりで約束をしてある。つまりハルヒとの初デートの日ってことだ。 「エスコートはアンタに全部任せるわ!光栄に思いなさい! あたしを楽しませないと死刑だから!じゃあね!」 そしてハルヒと俺は別れた。まさか、これが生きたハルヒを見る最後の姿だと思いもせずに…… その夜。俺達は病院に集まっていた。 「なんで……なんでこんなことに……」 朝比奈さんは泣いている。長門もどことなく沈んだ雰囲気だし、古泉にも笑顔は無い。 そう、ハルヒは、死んでしまったのだ。 ハルヒは俺と別れた後、突然通り魔に襲われたらしい。 胸を刺されて、病院に運ばれたが既に息は無かったそうだ。 家でのんびりくつろいでた俺は、突然長門からの連絡を受け、病院までやってきたってわけだ。 「……ウソだよな。なんの冗談だよ。面白いジョークだよな。はははは……」 ほんと笑えてくるよ。くだらなすぎてな。タチの悪いドッキリだぜ。 「なあ?みんなもそう思うだろ?一緒に笑おうぜ?ははは……」 笑うヤツは、誰もいない。 「みんなも笑えよ……笑えよ!ほら!!」 「落ちついて。」 「落ちついてられるか!!こんな状況で!!ハルヒが死ぬわけないだろ!あの団長がよ!!」 「落ちついて!」 長門が珍しく声を荒げ、俺の肩をつかむ。 「……これは、事実。」 はは……マジかよ。 俺の笑いは、涙へと変わっていった。 「……お話があります。」 今まで黙っていた古泉が口を開いた。なんなんだ。今はお前なんかの話を聞く気分じゃねぇんだよ。 「彼女を殺した通り魔は恐らく機か……」 古泉が言い終わる前に、俺は古泉を殴っていた。 「キョン君!」 朝比奈さんが悲鳴をあげる。だが知ったことじゃない コイツは今何を言おうとした!?機関の人間がハルヒを殺しただと!? 俺は倒れた古泉に駆け寄り、二発目を当てようとする。 ……!!長門!離せ! 「お願い。落ちついて。」 「落ちついていられるか!ハルヒは機関に殺された!そうだろ!?」 「古泉一樹は悪くない!」 「いえ……僕が悪いんですよ、長門さん。」 古泉が起きあがった。 「通り魔は恐らく機関の人間です。知っての通り涼宮さんは閉鎖空間を作り、僕等がその処理にあたる。 僕はSOS団の団員であるということに誇りを持っていますから、彼女を恨んではいません。 しかし、そうでない人間も確実にいるのです。彼女を恨んでいる人間も…… それでも彼女には能力があり、手出しは禁じられていました。世界がどうなるかわかりませんからね。 でもその能力が消えたことで、彼女に手を出す人間が出ることは不思議じゃありません。」 古泉は長々と話す。だが弁明という感じでは無い。ひたすら自分を責めているような感じだ。 「その可能性に気付いていながらこのような結果になってしまったのは全て僕の責任です。 僕を責めるなり殴るなり好きにして貰って構いません。なんなら、殺しても……。」 「もういい。お前を責めたところでハルヒは戻っては来ないからな。」 そうだ。古泉を責めたところでしょうがないんだ。 重要なのは、俺はこれからどういう行動を起こすべきか。 「ハルヒを取り戻すには、自分で行動を起こすしかないんだ。」 「取り……戻す?」 朝比奈さんが尋ねる。だが今は、それに答えるわけにはいかない。 俺は1つの決意をした。したからにはもう、1分の時間も惜しいんだ。 「みんな、もう俺はSOS団には来ない。 あいつがいないSOS団なんて意味無いし、なによりやることが出来たんだ。 悪いけど、もう帰らせてもらう。」 そう言い残し俺は去った。そうだ、俺がやらなきゃいけないんだ……! ~~~15年後~~~ 俺はあの後ハルヒの通夜にも出ずに、ひたすら勉強を続けた。 寝る間も惜しんでの受験勉強により、赤点スレスレから校内トップクラスにまで成績を押し上げた。 そして国内でも1,2を争う大学に入学。そのまま大学院に進み、異例の若さで教授にまでなった。 俺は今コンピュータサイエンスを専門としている。あの時からこの分野だと決めていたからな。 そしてつい先日、ようやく俺は研究を完成させたのだ。 さて、そんな中街を歩いていると、懐かしい人物に出会った。 「お前……古泉じゃないか?」 「あなたは……。お久しぶりです。」 「元気でやってるか?」 「ええ、それなりにやらせて頂いてます。あなたの方は凄い活躍ですね。 コンピュータサイエンスの権威として名前を聞きますよ。」 「そうかい。……あっ、もうこんな時間じゃないか。悪いけどここで失礼するよ。」 「お急ぎなのですか?」 「ああ。」 俺は古泉に喫茶店の金を渡して、こう言った。 「ハルヒが待ってるんだ。」 「え?」 古泉が素っ頓狂な声をあげる。 「今、なんと?」 「だから、家でハルヒが待ってるんだよ。遅れるとうるさいんだ。アイツは。じゃあな。」 呆然と立ち尽くす古泉を尻目に、俺は家へと急いだ。 「ただいま!」 俺は家のドアを開ける。やべぇな。遅れちまった。 『遅い!!罰金よ罰金!!』 やれやれ、予想通りのセリフだな。意味は無いと思うが一応弁明しておくか。 「いやさっき古泉と会ってな。つい話し込んでしまって遅くなった。」 『古泉くん?懐かしいわね。あたしも会いたいわ。……でもそれとこれとは話は別よ!』 「へいへい」 相変わらずあの時と変わらないな。 そうだ、「変わらない」のさ。研究室となった部屋にある、一台の大きなパソコン。 そのディスプレイ一杯に映し出されるのは、高校の時そのままのハルヒの姿。 そして左右に設置されたスピーカーからは、高校の時そのままのハルヒの声。 そう、これが俺の十年以上の研究の成果。 コンピュータ人格プログラム『涼宮ハルヒ』だ。 続く
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涼宮ハルヒの追憶 chapter.6 ――age 16 ハルヒは気付いていた。 でも、それを言ったらSOS団はなくなってしまうかもしれない。 そしたら、ハルヒ自身が楽しいことは行えなくなってしまう。 ハルヒはそれにも気付いていた。 そもそも、ハルヒの鋭さからいったら気付かないほうがおかしいんだ。 長門は知っていたのだろうか。 朝比奈さんも知っていたのかもしれない。 古泉だって本当は分かっていたのかもしれない。 そう、俺だけが気付いていなかった。 のんべんだらりと日々を過ごし、SOS団にそれとなく参加する。 それの繰り返し。 俺は何をしていたんだ? いいんだよな俺は? 傍観者でいていいんだよな? その夜、そんなことをベッドに入り考えた。 あまりに色々なことがありすぎて、落ち着くことができず、寝たのは明け方だった。 学校へと向かう上り坂。 最近の不眠の影響は俺の肩を上から押さえつけた。 俺の体調は最悪を超えて、すでに限界を迎えていた。 いつ倒れてもおかしくない、本当だったら一日中寝ていたいぐらいだ。 だが、家に寝ていることが一番の苦痛だってことは俺は分かっていた。 それは、俺の望む傍観者なのかもしれない。 でも、それでは一向にこの問題は解決せず、俺の目の前をちらつくんだ。 俺にはこんだけの経験を踏んで分かったことがある。 今回の事件は俺が解決することはおそらく不可能だ。 そんな俺が唯一できること。 それは、あの部室でみんなが帰ってくることを待つことだ。 そして、思いを馳せればいい。 みんなの苦しみを少しでも感じていたいんだ。 その思いの通り、俺は放課後部室へ向かった。 夕方の部室に哀愁を感じながら、パイプ椅子を取り出して、どっと座り込んだ。 後ろに飾ってある朝比奈さんの衣装達。 デフォルトのメイドさんに、映画祭の時のウェイトレス衣装や呼び込み用のカエルスーツ、 野球に出たときのナース服。 どれもすでに必要の無いものとなっていた。 その気持ちはあの時の公園に似ていた。 長門の指定席は空席のままで、目の前にはハンサムスマイル野郎もいない。 団長様も椅子にふんぞり返ってはいなかった。 でも、俺は待たないといけないんだ。 そのまま、俺は一時間ぐらいSOS団の思い出をめくっていた。 少しうつらうつらきていた頃、部室のドアが音を立てて開けられた。 ビクッと身体を震わせ、ドアの方を見た。 「ハルヒ……」 そこにはハルヒが真剣な顔をして立っていた。 春だというのに顔は汗ばんでいて、髪が顔に張り付いていた。 「キョン! 古泉君が……」 そこまで言うと、ハルヒはその場に崩れた。 古泉、お前は大丈夫だよな? どうしたんだよ? 「ハルヒ!」 俺はハルヒに急いで近寄り、ハルヒの肩をつかんだ。 「どうしたんだ! 古泉がどうしたんだよ?」 「古泉君が、怪我で、分かんないけど大怪我で病院に運ばれたって」 予想が当たってしまった。 「死ぬわけじゃないんだろ? どこの病院だ!」 「前にキョンが入院してた病院よ」 ハルヒはやけに小声で話した。 「いくぞハルヒ! 古泉のとこに行ってやらないと!」 「行きたくない」 「え?」 「行きたくない」 「なに言ってんだ! 古泉を見舞いに行かなくていいのかよ!」 「じゃあ、手つないで?」 ハルヒはうつむいたまま、俺に顔を見せようとしない。 「分かった。俺の手ぐらい貸してやる、だから古泉のところにいこう。 俺達以外の最後のSOS団団員なんだ。見守るのは団長の役目だったんじゃなかったのか?」 「うん」 「ほら、手を貸せよ」 そう言って、俺はハルヒの手を力強く引っ張った。 ハルヒの手はとても冷たかった。 「ちょっと、痛い! 強く引っ張りすぎよ!」 ハルヒは立ち上がると、俺に精一杯の笑顔を見せた。 「まったく、キョンのくせに生意気よ! 団長様が手をつないでやろうっていうのに、どういう考えなのかしら!」 と、ハルヒは笑顔から怒り顔にフェイスチェンジした。 「古泉君をお見舞いするわよ! 早く!」 そう言うとハルヒは突然走り出した。 そして、ハルヒは振り返って心からの笑顔で――そういう風に見えた――俺の手を引っ張った。 「待てよ、急に何なんだ! さっきのはなんだったんだよ」 「どうでもいいでしょそんなこと!」 そうして俺達は学校を出た。 俺とハルヒは手を繋いだまま古泉の待つ病院へと向かっている。 ひたすら無言で、春だっていうのに手が汗ばんでいた。 どこか気恥ずかしくて、手を離してしまいたがったが、 俺には手を繋いで欲しいと言ったハルヒの気持ちも少しだけ分かった。 ハルヒは怖いのだ。今、ハルヒははっきりではないが自分の能力に気付いている。 長門も朝比奈さんも消えてしまっていた(ハルヒにとっては転校と、嫌われた)。 それを自分のせいだと思っている。 そして、今回の古泉も自分が悪いんじゃないかと思っているのだろう。 不可抗力なのはハルヒも分かっているはずだ。 でも、それでも、責任を感じてしまっているのだろうか? 俺はそんなハルヒの冷たい手を温めているのが少しだけ誇らしかった。 俺は繋いでいる俺の左手を通して、ハルヒにかかる苦しさと寂しさが少しでも伝わって欲しかった。 「ねえ、キョン?」 ハルヒは俺を見つめてきた。 「なんだ?」 「古泉君は大丈夫よね? いなくなったりしないわよね?」 「不吉なことを考えんな、古泉なら大丈夫だ」 「そうよね」 そうだよ。それに、そんな暗い顔はお前には似合わねーんだよ。 どうすれば、元のハルヒに戻ってくれるんだ? 「ハルヒ、顔が暗いぞ、お前らしくもない」 「暗くなんかないわよ!」 ハルヒはムスッとした後、そのままうつむいたまま歩き続けた。 痛い。苦しい。 ハルヒは明らかに無理をしていて、それは鈍感な俺でも分かるほどだ。 「大丈夫だ」 俺が言うと、ハルヒは返事もせず黙って歩き続けた。 ハルヒは俺の手を強く握った。 病院に到着すると、俺は受付で看護婦さんに古泉のことを聞いた。 怪我は主に左足の大腿骨骨幹部(膝から上の太い骨)骨折で、 高所からの転落や高速度での自動車事故が原因で起こる重大な損傷らしい (らしいというのも、看護婦さんも原因がわからないみたいだ)。 その他にも踵骨(かかとのことだ)にヒビが入り、靭帯も損傷しているみたいだ。 運良く血管や神経の損傷は免れたみたいで後遺症が残ることはないらしい。 骨の位置を直す緊急手術はすでに行われていて、 この後は歩行のためのリハビリテーションが始まるらしい。 まあ、つまり、命に別状はなかったわけだ。 「よかった、古泉君なら大丈夫だと思ってたわ!」 ハルヒはほっと胸を撫で下ろし、やっと笑みを見せた。 「さっきまで暗い顔してたのはどこのどいつだ。 言っただろう、古泉なら大丈夫だって」 「バカキョンに言われたくないわ!」 ハルヒは満面の笑みで俺の手を引っ張った。 「行きましょう! 古泉君が待ってるわ!」 「まったく、お前は調子がいいな」 よかったよ。ハルヒが笑顔になって。 「やれやれ」 俺とハルヒは急いで古泉の寝ている病室に向かった。 「ハルヒ、すまんがもう手は離してくれないか?」 そう俺達はここまでずっと繋いだままだった。 「分かってるわよ! キョンが寂しそうだったから繋いであげていたのに! こっちの気持ちも考えて欲しいものね」 ハルヒは手を腰に当て病院だというのに怒鳴り散らした。 逆だろとは言わないでおこう。あとが怖そうだ。 看護婦さんから聞いた病室は俺がかつてお世話になったところだった。 無駄に広い病室でハルヒが一緒に寝泊りしてくれていたんだっけな。 ノックしてドアを開けた。 「古泉入るぞー」 俺はできるだけの笑顔で病室に入った。古泉の真似だ。 古泉はベットに横たわっていた。 いつもの如才のない笑みはなく、ただぼんやりと天井を見上げていた。 病室は簡素なもので、ベッドと小さなテーブルがあった。 階は最上階で、風の通りもよかった。 部屋の雰囲気は長門のそれと似ていて、無機質に感じられた。 「おい、古泉! 人が来たのになにぼーっとしてんだ!」 古泉はこちらを見ると、 「あ、お二人とも無事でしたか。よかった」 と言って、困ったような笑みを見せた。 「なにが無事でしたかだ、お前のが無事じゃねえだろうが」 「そうでしたね。当分動けそうにはありません」 「古泉君、安心して、副団長の座は帰ってくるまで誰にも明け渡さないから」 これがハルヒなりの最高の気遣いなのかもな。 「それはありがたいことです」 古泉はハルヒに微笑みかけた。ハルヒはそれに応じた。 だが、古泉の笑顔はいつもと違い、引きつっているように見えた。 「高いところから落ちたんだってな。受付の看護婦さんから聞いたよ。 『子供とホモは高いところが好き』って言うのは本当だったんだな。 都市伝説かと思っていたんだが」 重い空気を変えようとできるだけ鉄板ネタから入ることにした。 「ホモは余計です。僕は同性愛者ではありませんよ。 純粋に女性のことが好きです」 「古泉の女性の趣味って気になるな」 と俺は気にもならないことを言った。 でも、沈黙のままでいるのは苦しすぎた。 「女性の趣味ですか。そうですねえ、涼宮さんみたいな人ですかね」 「と、突然何を言い出すんだ! いるんだぞハルヒはここに!」 「みたいな人といっただけで涼宮さんではありませんよ」 古泉は少し困ったような表情を浮かべた。 「そ、そうよ! 団員同士の恋愛は硬く禁じられているのよ!」 ハルヒは腕を組みながら、顔をあさっての方向に向けて言った。 というか、なんだその反応はハルヒに恥ずかしいなんて感情あったのか? そんなことを思っていると、古泉が俺を真っすぐ見据えていることに気付いた。 「ん、どうした?」 「いえ、なんでもありません。それはそうと、涼宮さん。 一階に行ってジュースを買ってきてくれませんか? 団長に頼むのも悪いのですが、お願いします」 「えー、なんで? キョンに行かせればいいじゃん。 雑用係はキョンって決まってるのよ?」 古泉は俺と二人で話したがってる。 おそらくハルヒには話せないことなんだろう。 古泉がハルヒにお願いすることなんてありえないし、 それに古泉はさっきから俺をずっと見つめ続けていた。 「お願いします」 古泉は強く言った。ハルヒに対する初めての意見だ。 「しょ、しょうがないわね! 今回だけよ! 古泉君が怪我してるからだからね!」 「すまん、ポカリ頼む」 「ちょっと! なんであんたの分まで買ってこなきゃならないのよ!」 「お前らの分は俺がおごってやるから、それで勘弁してくれ」 「すみません、僕もポカリスウェットでお願いします」 「もう!」 俺はポケットに入っている財布から千円札を抜き出し、ハルヒに渡した。 ハルヒは俺から引きちぎるように奪って、肩を怒らせながら病室を出て行った。 「行ってくるわよ!」 「やれやれ、ジュース買いに行かせるのにどれだけかかるんだよ」 「まったくです」 古泉はデフォルトの笑顔を見せた。 「時間がありません、始めましょうか。 涼宮さんが帰ってくるまでに話し終わらなければ」 「やっぱりか。なにか話したそうだったもんな」 「やはり分かりましたか。 でも、あなたが分かったということはおそらく涼宮さんも分かったことでしょう」 「そうだろうな」 そして、古泉は天井を見つめたまま話し始めた。 「まず、あなたには謝らなければなりませんね。 部室で突然殴りかかって申し訳ありませんでした。 あの時は僕も精神的に限界だったんです」 「いや、それはいい。俺も悪かったからな。 それはそうと、お前が精神的に限界とは珍しいな何かあったのか?」 「荒川さんが亡くなられました」 古泉はそう、事務的に伝えた。 「は? 荒川さんが? どうしてなんだ?」 「理由は僕と同じです。高所からの転落です。 ……というのは半分は本当で、半分は嘘です」 「で、本当の理由はなんなんだ?」 「少し長くなりますが」 「かまわん。続けてくれ」 古泉は白い天井を見つめたまま息をふうっと吐き出すと、 ゆっくりと一語一句聞き取れるよう話した。 「閉鎖空間でのことです。 その日涼宮さんの機嫌は大変悪く、最大級の閉鎖空間が生まれました。 そうですね、大きさとしては関西全域といったところですか。 その日というのは、長門さんが消えた日のことです。 僕達『機関』のものはほとんど総出で『神人』狩りに行きました。 当初はいつも通り、アクシデントも無く無事に終わると、 おそらく全員が思っていたことでしょう。規模が大きいだけだと。 閉鎖空間内に入るとその楽観的な思考はいっぺんに吹き飛びました。 いつもの灰色の空間ではない、薄暗く、『神人』だけが光るものでした。 ただ、それだけなら予定通り『神人』を倒してしまえば終わりです。 でも、そうはいかなかったんです。 『神人』は僕らを排除するかのように、暴力性を増し、明らかに強くなっていました。 安易に飛び込んだ者は叩きつけられて、死にました。 僕の隣には荒川さんが浮かんでいました。 荒川さんの顔は見て取れるほど怒りに満ちたものでした。 そして、僕自身も怒りというか、憤怒というか、 そうですねやるせなさと無力感、突撃してはやられていく仲間たちを見続ける悔しさ。 僕達『機関』の者はいわば戦友のようなものです。 そういえば分かってもらえますか?」 古泉はここまで話すと、俺の方を見て微笑んだ。 俺は古泉の語るその話に圧倒されていた。そこには明らかな意思があったからだ。 「ああ、分かるよ」 古泉はまた天井を見つめ、続けた。頬には涙がつたっていた。 「僕は強くなった『神人』に対して恐怖を感じ、その場から動くことができませんでした。 しかし、荒川さんは仲間を助けるために飛び込んでいきました。 無常にも『神人』によって一撃で叩き落され、底の見えない暗闇へと落ちていきました。 僕はそれをただ見つめていました。もう、赤い球体の数は二、三ほどのものでした。 その直後、僕は激しい嘔吐感に襲われ、吐きました。 頭がふらふらして、そのまま意識を失いました。 そして目覚めると、この病院だったわけです」 「そうか」 「後で聞いた話によると、その時残った者は閉鎖空間内から脱出したそうです。 そして僕も助けられ、一命を取り留めたわけですね。 閉鎖空間は拡大する一方でした。 あなたと部室で会った後、僕は再び閉鎖空間に向かいました。 『神人』が弱体化していたら、という淡い期待を抱くことで自分を保ちました。 僕はあの時見た『神人』が頭の中でフラッシュバックして、僕の中に居続けました」 古泉はそこでまた息を一つふうっと吐き出した。 「それは怖かったですよ」 古泉は俺を見て笑顔を見せた。 「閉鎖空間に入ると、前回と同じ、薄暗く、どこか陰鬱とした空間が僕を包みました。 『神人』は暴走を続けていました。 ただ、あなたが見たときと違い、街があるわけではありません。 『神人』は破壊の対象がないため、街を破壊するのではなく、 空間自体を破壊しようとしていました。 あまりの既視感に僕はまた意識が朦朧としてきていました。 どうしようもありませんでした。 僕はまた意識を失っていき、深い、深い、底へと落ちていきました。 薄れゆく意識の中で、その空間に僕達とは違う存在が飛び回っていることに気付きました。 『神人』でもなく、『機関』のものでもない別の存在がね。 あれはなんだったんでしょう。 そして僕はそのまま、底の見えない暗闇と同化していきました」 「これで僕の二日間にあった出来事は終わりです」 「そうか」 「また気がついたら病院にいました。 僕は何もできませんでした。僕は無力なんです」 「古泉、お前は無力なんかじゃないぞ。 何もしないでただぼんやりとしていた俺なんかよりずっとな」 そうなんだ、古泉は守ろうとしていた。 俺は何をしていた? 長門からただ逃げて、朝比奈さんに抱きしめられても何も答えられず、 ハルヒが苦しんでいても何もしてやれない、最低の男だ。 「ありがとうございます。その一言で僕は救われます」 古泉は笑った。俺はどんな顔をしてる? 「このぐらいでいいなら何度でも言ってやるぞ」 「もういいですよ。あなたに褒められるのもこそばゆいですから」 と言って、古泉はまた笑った。 「時間が無いので、次にいきましょう。今までのは僕の話です。 これから話すことは涼宮さんのこと、そしてSOS団についてです」 「頼む、俺は知りたいんだ」 「分かりました。では今回の事件についておさらいしましょうか。 現在、涼宮さんの能力は収束に向かっています。 理由は分かりません。残った『機関』の者が調査しています。 閉鎖空間は今もって存在し、強靭な『神人』によって、 空間は指数関数的に拡大し続けています。 長門さんを始めとするTFEI端末は減少し続けています。 朝比奈さんら未来人も一斉に帰還しました。 これらから分かることは何でしょう?」 「何も分からん」 実際に分からない。なぜハルヒの能力が収束しているのかだって? 「実は昔からいろいろな疑問が生じているのですよ。 なぜ涼宮さんはあの能力を持ち、そして行使することができるのか。 そして能力の元となるエネルギーはどこから来ているのか。 前にも言いましたよね。この世界の物理法則は保たれたままだと。 物理法則で一番大事なものはなんでしょう?」 こんなの俺でも知ってる。 「質量保存の法則かな」 「そうです。この世界にあるものは保存されるという、 ごく単純な理論がすでに破綻してしまっているのです。 では、涼宮さんがどこからエネルギーを持ってきているのか。 昔から『機関』内では論争が続いていました。 ある人は涼宮ハルヒがすでに内在していたものだと言い、 またある人は涼宮ハルヒは現人神なのではないかと言いました。 そして僕はそのほとんどがくだらない、馬鹿げたものだと考えていました。 人は人である以上、神のことを考えることはできないからです。 ですが、ただ一人、そう荒川さんの意見だけが僕の心に引っかかりました。 涼宮ハルヒの能力の元はこの世界とは違う、 パラレルワールドから引き出されたものではないか? 『機関』内では無視されましたが、 僕はこの意見がとても気に入りました。 『機関』がほぼ壊滅し、そして能力が収束していっている今なら、 この荒川さんの意見が正しいものだったと僕は声を大にして言えるでしょう」 「俺にはまったく分からないが」 古泉は俺を無視して続けた。 「パラレルワールド。つまり、異世界のことです。 この世界とは時間も空間も違う存在。 これだと、全ての辻褄が合ったんですよ!」 古泉は少し興奮しながら言った。 俺は妙に『異世界』という言葉だけが気になった。 それ以外は全く理解できなかったが。 「どう辻褄が合うんだ?」 「まず、これを裏付ける証拠として、 長門さんが涼宮さんの能力が収束している理由が分かっていないのが挙げられます。 宇宙的存在であるはずのTFEI端末が分からないもの、 それはこの宇宙外の話なのではないでしょうか? 次に、朝比奈さんもそうです。 未来が分かるはずの朝比奈さんが帰らなくてはならなかったのでしょう? 帰った理由は簡単です。時間をワープすることができなりそうだったからです。 そもそも、タイムジャンプはこの時代の科学者ですら否定的な意見です。 ではなぜ、可能だったのか? 涼宮さんの能力の発現によって、 タイムジャンプが可能なほどの時間の揺らぎが生じたと考えるのが妥当でしょう。 そしてその能力が収束している、つまり時間の揺らぎは減少していったのでしょう。 そのため、緊急で帰還することを選んだのでしょう。 ここに矛盾があります。未来が分かるはずの未来人が帰ったのか。 それはこの後起きることがこの時間軸とはまた別の時間軸の出来事なのでしょう。 つまり、異世界での出来事なのではないかと」 「理屈は分からんが、 とにかくその異世界というのはハルヒが望んでいたことなのは確かだ」 「そうです。それが第三の証拠です。 未だ現れない異世界人。これも前からの疑問ですね。 でも、僕はおそらく異世界人であろう人に会いました」 「さっき言った、閉鎖空間で見たって人か」 「その通り。閉鎖空間に他人がいるのはおかしな話ですよね。 そう考えると、あれは異世界人だったとしか思えないのです」 「なんでいるんだろうな?」 「これも推測ですが、こちらの世界に来ようとしたのではないかと」 「ハルヒに会うためか?」 「わかりません。ただ、分かることが一つだけあります。 涼宮さんが能力を発するたびに、 この世界のエネルギーは増え、あちらの世界のエネルギーは減少します。 これは何を意味するでしょう?」 「なんだろうな」 「あちらの世界が不安定になる、これだけは明らかです。 今回の能力の収束はこれに由来するのではないか。 あちらの世界が不安定にならないように、涼宮ハルヒに対抗してきた。 こう考えてみてはどうでしょう。 そして、こちらの世界とあちらの世界を繋ぐもの。 それは、閉鎖空間なのではないかと。 今回の閉鎖空間は今でも拡大を続けている、史上最大のものです。 そのためあちらの世界と繋がり、異世界人がやってきたのではないかと、 そう僕は考えるわけです。以上です、長くなってすみません」 「いや、いいよ。全く分からなかったが、妙に説得力があった」 そう、俺は全く分からなかった。 だが、一生懸命に語る古泉はとても格好よく見えたし、 俺はただ相槌をうつだけだったが、なんとなく伝わった気がした。 「あ、あと一つこれは涼宮さんには言えませんが、 僕は彼女を非常に憎んでいます。 それも殺してやりたいぐらいにね。 でも、涼宮さんは悪くないんです。だから、苦しんです。 閉鎖空間は彼女の心そのものです。 そして、僕達を排除しようとしたのも、殺そうとしたのも彼女です。 僕達『機関』の戦友たちは涼宮ハルヒに殺されたんです」 古泉は俺をじっと見つめながら笑った。 俺はそれに恐怖を感じ、狂気を感じた。 静まる俺と古泉の病室に、外から女性の声が突然聞こえた。 「あの、中入っても大丈夫ですよ?」 ガランッ。 何かが落ちる音共に、人が駆けていく音が遠くなっていった。 もしかして。 「もしかして、ハルヒが聞いていたのか?」 「そうかもしれません。でも、これでいいのかもしれません」 「バカ野郎! 殺したいなんていわれて平気でいられるやつがいるか!」 「早く追いかけないんですか? 涼宮さんは僕ではなく、あなたを待っているはずですよ」 古泉は嫌な笑みを浮かべた。 「分かってるよ! くそっ! どいつもこいつもなんなんだ!」 病室のドアを開けると、角のへこんだポカリスウェットが3つ転がっていた。 みんなで飲むつもりだったんだろう。 俺はその一つを病室のテーブルに置き、 古泉に「早く直せよ。ありがとな」と言って病室を飛び出した。 病院で走るわけにもいかず、歩いてハルヒを探した。 一階まで降りると、ハルヒは自販機の横のベンチに座っていた。 顔を両手で覆っていた。 近づくと、肩を震わせ、声にならない声で泣いていた。 「聞いてたのか?」 「……うん」 ハルヒはひどく詰まった声で答えた。 「どうしよう、古泉君にも嫌われちゃった。もうSOS団は解散ね」 「そうかもな」 俺はハルヒの右側に座って、地面を見つめた。 「あたしね、あたしだけで生きていけるように、頑張っていたの。 でも、みんなと出会って、楽しくなってた。 今まで全部一人でやって生きてきたのに、みんなといるのが楽しくなってたの。 でも、でもね。あたしは大切なものができるのが怖いのよ。 大切なものはいつか別れる時来るの」 いつか別れる時が来る。 俺は自分の中で繰り返した。それは朝比奈さんが話したことでもあった。 「だから、あたしは友達なんて作らなかった。 それより一人で生きていったほうが楽だし、強くなれるもの。 その分努力もした。でも、あたしは寂しかったのかもしれない。 宇宙人とか未来人とか超能力者とか全部人ではないものを求めてた。 だって、その人たちとは別れが来ないかもしれないでしょ? 楽しいだろうなってのは本当。でも、それは表面上の理由。 あたしはまた手に入れて、また失った」 ハルヒ。言ってくれるのは嬉しいんだ。 でもな、ハルヒ。俺はまだお前を受け止める自信が無いんだ。 「あたし、古泉君に殺されるのかな? あたし、いつのまにか殺人者になってたのね」 ハルヒは泣き続けていた。ハルヒの泣き顔はとても綺麗だった。 ハルヒ。ごめん、何も言えなくて。 ハルヒ。 「バカ。お前は殺されないし、殺人者でもねーよ」 「キョンが言ったって、意味が無いわ」 確かに気休め程度のクソみたいに陳腐な言葉を並べて、 ハルヒを慰めることができるか? できねえよ。 「分かった。何も言わない。 ただ、ポカリスウェットは飲んどけ。 時間が経って冷えるとまずくなるからな」 俺がへこんだ缶を手渡すと、ハルヒは力なく受け取り、膝の上で持った。 俺はもうひとつの缶を開け、一気に飲んだ。 そして左手でハルヒの右手を取り、ゆっくりと握った。 ハルヒの右手は震えていて、ひどく冷たかった。 二十分ぐらいたっただろうか、 突然ハルヒは立ち上がり、ポカリスウェットを一気に飲み干した。 「ぷはっー!」 お前はおっさんか、というツッコミをする暇もなく、 「帰るわよ! キョン! こんなとこいても無駄だわ!」 「おい、突然どうしたんだ?」 「帰るって言ったのよ、聞こえなかったの? もう、家に帰りましょ。暗くなってきてるし」 「あ、ああ。じゃあ、帰るか」 戸惑う俺を横目にハルヒは缶用のゴミ箱に空き缶を投げ入れると、 俺の手を引っ張った。 病院を出ると、空には月だけが輝いていた。 俺達を照らすのは街灯の光と、行きかう車、建物から漏れる白い光だ。 隣にいるハルヒは泣いてすっきりしたのか、急に機嫌が良くなっていた。 SOS団でのハルヒと同じはずなのに、不自然なのはどうしてだろう? もうすぐ駅に着く。その間俺達は手を離さなかった。 無言のまま歩き、つながっている手だけをしっかりと握った。 春の夜風が心地良い。肌寒いぐらいのそよ風が頬を撫でた。 もうすこしでさよならだ。 虫達も息を潜める、そんな静かな深い夜だった。 突然、後ろから大きい足音が聞こえるまでな。 それは一瞬のことだ。 突然に後ろで人が走る音が聞こえて俺が振り返ると、 そいつはやたらと大きなナイフを胸に構え、俺たちに突進してきていた。 「※※※!※※※※※※※※※?※※※※※※※!」 訳の分からない奇声を上げながらものすごい勢いで突っ込んできた。 「危ない! ハルヒ!」 「え? なに?」 俺はハルヒを引っ張り、倒れるようにしてそいつの一撃を避けた。 なんなんだ? 俺達はいつ暗殺者に狙われるようになったんだ? 避けられた謎の暗殺者はすぐに切り返し、俺たちを見つめた。 かなり大きい男? 「※※※※※?」 訳が分からない。何語を喋ってるんだ? 俺の英語の成績ぐらい調べといてくれ。 とりあえず立ち上がらなきゃ! このままだと逃げられん! 「※※※!」 またそいつは突っ込んできた。まずい! 逃げられん! しかし、ハルヒがナイフを突き刺そうと突っ込んできた暗殺者の手をタイミングよく蹴り、 ナイフを吹き飛ばした。 そのあとハルヒは左足で暗殺者の膝辺りを蹴り、そいつは横に倒れた。 「まったく! その程度であたしを狙うなんてバカ丸出しだわ!」 ハルヒは立ち上がるとそう叫んだ。 だが、そいつもすぐに立ち上がり、背中からさらに大きなナイフ? いや、もう剣といってもいいぐらいの長さの刃物を取り出し、 ハルヒに向かって一直線に刃物を突き立てた。 まずい、近すぎる。避けきれない! ハルヒをかばおうにも間に合わず、目をつむってしまった。 目を開けると、ハルヒに突き刺そうとしたナイフを右手でつかみ、 手を血だらけにした、短髪の少女が立っていた。 「長門、だよなお前?」 そう、そこには消えたはずの長門が立っていた。 「有希なの?」 「そう」 暗殺者はガクガクと震えだし、ナイフの柄から手を離した。 「今は時間が無い。事情の説明は後」 「情報連結解除開始」 そういうと、あの日と同じようにナイフがサラサラと分解していった。 「※※※!※※※※※※!」 そいつはいきなりうめき声のようなものをあげると、長門を睨み付けた。 長門は高速で何か呪文のようなものを呟いた。 「――――パーソナルネーム―――を敵性と判定。 当該対象の有機情報連結を解除する」 「※※※※※※※※※※※※!」 「んっ!」 目の前で謎の言葉の言い合いが行われていた。 長門はその内容が分からなくて、暗殺者は何語かも分からなかった。 が、突然暗殺者は消え、俺は呆然とその様子を眺めていた。 「逃げられた」 長門は俺達のほうを振り返り、そう言った。 右手からはおびただしい量の血が流れ出ていた。 よく見ると、少し悔しそうにも見えた。 「有希!」 突然ハルヒは長門に抱きついた。 「有希! どうしたの? 転校したんじゃなかったの? 大丈夫なのその右手」 そういうとハルヒは頭のトレードマークを解いて、長門の右手首を縛った。 「これで、少しは血が止まると思うわ」 ハルヒはにっこりと笑って長門を見つめた。 「ああ、有希。ありがとう、あたしを助けてくれたのよね?」 「そう。右手の損傷もたいした事無い。今、直す」 長門はまた高速で呟くと、長門の右手は徐々に塞がっていった。 「すごい!すごい! どうやったらそんなことできるの?」 ハルヒは目を輝かせて長門を見つめている。 そんなハルヒと長門を見ている俺は無様に尻もちついたままなんだがな。 って、おい! ハルヒの前でそんなことやっちゃっていいのかよ! 「問題ない。あなたたちを守るために再構成された。 記憶も何もかも全てそのままで」 「有希!」 ハルヒはまた長門に抱きついた。 「よかった。有希が戻ってきてくれて。 でも有希は人間じゃないのね? もしかして宇宙人?」 「そう」 「当たりね。その右手首に付けてるやつはあげるわ! あたし達を守ってくれたお礼よ!」 「分かった」 ハルヒに抱きつかれてる肩越しに、長門は俺を見つめた。 「なんだ?」 「そろそろ」 「なに―――」 「キョン君ー! 涼宮さーん! 無事でしたかぁー?」 遠くから愛らしい声が聞こえた。 やれやれ、そういうことか。この団専用のエンジェルがお出ましだ! 俺は立ち上がり、手を振ってその声に答えた。 ハルヒもその声に対して大声を上げ、手を振って答えた。 朝比奈さんは息を切らしながら俺達のところにたどり着くと、 「よかったぁー。殺されちゃうかと思いましたよおぉ」 と言って、可憐な涙を拭った。 「ばかねぇー。あんなんであたしが死ぬわけ無いでしょ?」 ハルヒはそういって、朝比奈さんを抱きしめ、頭を撫でた。 顔は困ったような、嬉しさを隠せない様子だ。 「でもでもぉ。本当に危なかったんですよぉ? 長門さんが遅かったらって思うと……」 「大丈夫よ。あたしはここにいるし、キョンもあそこでぼけーっと突っ立ってるでしょ?」 いや、普通に立ってるだけだがな。まだ動悸はおさまらないが。 「みくるちゃんは未来人なのよね?」 「そうです」 って、おい! 朝比奈さんまで認めてるんだよ! 古泉の話をどこまで聞いたか分からんが、ハルヒも信用しすぎだろ。 「てことは、古泉君は超能力者ね。キョンはただの一般人ぽいし」 まあ、俺もすぐに気付いたがな。 それより聞いておかなきゃならないことがあるな。 「ところで長門、さっき襲ってきた人は何者なんだ? ここの国の人ではなさそうだったが」 俺は平然と立っている長門に尋ねた。 「この宇宙ではない宇宙から来たもの。 通俗的な用語を使用すると、異世界人にあたる。 この宇宙空間には存在しないため、我々情報統合思念体も把握できていなかった。 でも、今回対象はこの世界に突然に現れ、明らかな意思を持って行動した」 「明らか意思か」 「そう、彼の意思は『涼宮ハルヒを殺す』ことだけ」 ハルヒは朝比奈さんとじゃれあっていたのをやめ、長門の話に集中した。 「そうなんです」 朝比奈さんは唐突に割り込んだ。 「この時間軸上に存在しないはずのことだったんです。 でも、突然現れて、緊急に出動要請が出たんです。 涼宮さんの命が狙われているって。今回は光線銃の携帯も許可が下りました」 そう言って朝比奈さんは腰につけていた光線銃を取って、俺達に見せてくれた。 ハルヒはそれを興味深げに見ると、朝比奈さんから奪い、俺に打つ真似をしてきた。 あぶないからやめなさい! 子供じゃないんだから! ハルヒは銃を下げると、 「とにかく、あたしの命を狙ってる異世界人とやらがいるわけね。 そいつらは危険なの?」 長門はハルヒをじっと見つめると、 「とても危険。我々情報統合思念体でも勝てるかどうかは微妙。 でも、彼らにも弱点がある。この世界では、こちらの物理法則に従わなければならない。 これからあなたはわたしや朝比奈みくると一緒にいることを推奨する」 長門は俺の方を向くと、 「あなたも、わたしたちとともにいなければ危険」 俺もか。 「そう、文芸部の部室に泊まるのが一番安全。 あの空間はちょっとした異空間になっていて相手も攻め込みにくい」 「部室? そこで泊まるのか。ばれたらまずいんじゃないのか?」 「大丈夫、情報操作は得意」 確かにお得意だろうがな。 はあ、一般人だったはずの俺がいつのまにか暗殺者に狙われるまでになったか。 「部室でお泊りか、なんか楽しくなってきちゃった! もっといろんなもの持ち込まないと!」 ハルヒは乗り気だがな。 「わたしもいっぱい準備しなくっちゃ!」 朝比奈さんもだいぶ乗り気のようで。 そして俺は気付く。なんであの部室はあんなに生活できるまでにものが溢れていたのか、 実はこのためだったのかもしれない。なんてな、偶然だろ? 「これでSOS団も復活ね! 今日の夜から部室でお泊りよ!」 「はぁーい」 朝比奈さんの愛くるしい声が月夜に舞う時、長門は細い光を放つ街灯を見つめながら頷いた。 やれやれ、好きにしろよ。 もう。 「SOS団はやっぱりこうでなくっちゃ!」 仁王立ちするハルヒの叫び声が、肌寒い春の夜に響いた。 chapter.6 おわり。
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第二章 cruel girl’s beauty ――age 16 俺を待っていたであろう日常は、四月の第三月曜日をもって、妙な角度から崩れ始めた。 その日は、憂鬱な日だった。 朝目覚めると、すでに予定の時刻を過ぎ、遅刻は確定していたので、わざとゆっくりと学校へ向かうことにした。週明けの倦怠感がそうさせたのかもしれない。風は吹いていないものの、強い雨の降る日だった。ビニール傘をさし、粒の大きい雨を遮った。昨晩からの雨なのか、地面はすでに薄暗いトーンを保っており、小さな水溜りからはねる水が俺のズボンの裾を濡らした。急な上り坂は水を下にある街へと流し、留まるのを拒んだ。 学校に着いたのは一時間目が終わった休憩時間だった。雨で蒸しかえる教室はクラスメイトで満たされ、久しぶりの雨音は教室を静穏で覆った。俺の席――窓際の後ろから一つ前だ――の後ろを見た。ハルヒは窓ガラスの外側を眺め、左手をぴたりとガラスにくっつけていた。進級したことで、階が一つ下がり、窓からの景色は変わった。外ではグラウンドが水浸しになり、小さな川を作っていた。 一年前のあの日。 俺がハルヒと会ってそう経っていなかった頃、ハルヒの表情は怒りで満たされていた。無矛盾な世界への怒りなのか、自分自身への怒りなのかは分からない。だが、SOS団の活動を通して、ハルヒは少しずつ感情を取り戻していった。取り戻すというのは、ハルヒが持っていたであろう――抑えていたであろう――感情を開放していったというのが正しいだろう。 俺がハルヒと会ってからずっと引っかかっていたのは、ハルヒがなぜ普通の人間を嫌うのだろう、ということだ。一般人を代表したような俺は谷口や国木田とそう変わるところはあるまい。国木田より頭は悪いし、谷口みたいにバカ丸出しでもない。健全な高校生を演じていた俺になぜあいつは目をつけたのか。確かに俺は七夕に一度会っている。だが、俺の名前は知らないし、他人の空似程度にしか思っていないだろうよ。ではなぜ? おそらくそれはハルヒにしか知りえないことであった。しかし、一つの推測を述べたい。ハルヒは普通の人間を嫌っているのではなく、人と仲良くなることを避けているように見えるということだ。 今、ハルヒは陰鬱な表情であやふやな視線を泳がせていた。 椅子に座ると、ハルヒに倣い、窓の外を眺めることにした。雨は激しさを増し、窓ガラスに伝わる水滴が水へと変わった。特別変わったことはない。世界の普通さに慣れ、そしてSOS団にも慣れた。日常と非日常を繰り返す毎日が日常になってしまった。かつて望んでいた非日常が日常へと変わってしまっていた。あまりにも奇妙なことがありすぎてそれに慣れてしまったわけだ。 そんな憂鬱な世界とハルヒ、そして俺を崩していったのは谷口の一言だった。 そうそれは、本当に妙な角度からの一撃だった。 谷口は近づいてくるなり、いつものデカイ声を倍にして唾を飛ばしながらこう言った。 「おい、長門有希が転校したってよ」 「へ?」 俺は間抜けな声を漏らした。 「本当だよ。さっき六組のやつが言ってたぞ」 谷口は語気を強めていった。 ガタンという音ともに後ろに座っていたハルヒが立ち上がった。 「谷口! 本当なのそれ? 嘘だったらただじゃおかないわよ!」 ハルヒは谷口のネクタイをもの凄い勢いで引っ張りながた怒鳴った。 「そんなに怒るなって。言ったことは本当だよ」 「ちょっと、キョン!」 なんだ。 「隣のクラスに確認に行くわよ!」 ハルヒはネクタイが引きちぎれそうな勢いで俺を連行した。 長門が転校したって? どうして? 俺にはそんな事一つも言ってなかったぞ。ハルヒもこの様子じゃ何も知らされてないみたいだな。 ハルヒは隣のクラスに入るやいなや壇上に上がり、 「有希が転校したって本当なの?」 ハルヒはクラス全員に向かって大声で尋ねた。 「本当ですよ。朝、ホームルームで先生が言ってましたし」 近くにいた大人しそうな女生徒がおずおずと言った。 「そう」 ハルヒは礼も言わず教室を飛び出した。ネクタイを引っ張られたまま俺も飛び出した。こりゃ傍から見たら犬と飼い主だろうな。かっこ悪いぞ俺。 教室から出るなり、俺と向かい合うと、 「職員室に行くわよ!」 「とりあえずネクタイから手を離してくれ。大丈夫逃げたりしないから。長門のことだしな」 ハルヒはネクタイを思い切り下に引っ張って、手を離した。そして、職員室のあるほうへ一人で走っていった。締まる簡素なネクタイに苦しめられながら、俺は必死にハルヒを追いかけた。 俺とハルヒは教室に戻り、ドカッと自席に座った。 結果は同じだった。俺が遅れて職員室に入ると、ハルヒは教師を馬鹿でかい声で問い詰めていた。教師は住宅街を歩いていたら突然犬に吠えられたような驚きと疑問を顔に浮かべながら、ハルヒをいなそうと必死だった。ハルヒハ教師が長門の転校の理由が分からないと見るや、「役に立たないわね! 無駄に年食ってるんじゃないわよ!」それを捨て台詞に職員室を出て行った。職員室の入り口から事の成り行きを見守っていた俺を無視してハルヒは階段を登っていくので、俺は仕方なくハルヒを追いかけることにした。 俺はおそらく長門がどこに行ったかなんて分からないだろうと踏んでいた。しかし朝倉の時とは違い、行き先も不明だった。確かに行き先を教えたらハルヒはそこまで会いに行くだろうからこれでいいんだろうな。俺だってカナダにいると分かれば、泳いででも行くつもりだったさ。 打つ手はない。おそらく長門のことだろうから、情報操作をしているはずだ。しかし、なぜ? 「なあ、ハルヒ。なんで長門は転校したんだと思う?」 俺が振り返り尋ねてみるとと、ハルヒはバンっと机を叩き、 「分かるわけないでしょ! なんで有希は言わないのよ!あたしたちってその程度の仲だったの?」 「そんなことはないだろ。何かしらの理由があるんだろ」「キョンもよく落ち着いてられるわね! 何かしらの理由って何よ!」 ハルヒはヒステリックな声を張り上げた。 「それは俺にも分からん。放課後、朝比奈さんや古泉にも聞いてみよう。なにか分かるかもしれない」 ハルヒは何も答えなかった。そのまま崩れるように椅子に座り込んだ。そして、聞き取れないほど小さな声で「もう失うのはいやなの」と呟いた。そしてハルヒは机に突っ伏したまま放課後まで起きることはなかった。 授業はいつにもまして、手がつかなかった。もんもんと長門のことを考え、窓の外を見ていた。上の空というのをこれほど実感したことはない。昼食を一人で済ませ、あてもなく学校をうろついた。そうでもしないと落ち着いていられなかったし、どこかに長門が隠れているかもしれなかった。無意識に歩いたのに、行き着く場所は一つだった。 部室棟、通称旧館の文芸部部室。 ドアをそっと開け、部室を眺めた。パイプ椅子に腰掛け、分厚いハードカバーをめくり、陶器のように佇む長門有希を期待したが、いるはずがなかった。パーツを失った部室は空回りをしているように見えた。これ以上見ていることはできず、教室へと逃げ帰った。 放課後、部室には長門を除く全員が揃っていた。 今日の古泉は笑ってはいなかった。沈痛な面持ちで、心ここにあらずといった様子だ。なぜこんなありきたりの表現かといえば、意識的な表情に感じられたからだ。葬式の時に笑って手を合わせてはいけないのと同じだ。ハルヒは団長椅子に浅く座り、教室の時と同じように机に突っ伏していた。朝比奈さんは健気にもメイド服に着替え、お茶の準備をしていた。しかし部室内に流れる異様な空気に気づいたのか、朝比奈さんは困惑しているようだ。 「あのぉ、キョン君。みなさんどうなされたんですかぁ?」 朝比奈さんは耐え切れずに俺に小声で尋ねてきた。 古泉は『機関』とやらから情報が流れているだろうが、朝比奈さんは上級生であり、なにも聞かされていないのは明らかだ。俺は静まりかえった部室で、朝比奈さんの質問に答えることにした。 「長門が転校したんですよ。理由もいわずにね」 「ひぇ?」 朝比奈さんは驚きとも悲鳴とも取れない声をあげた。 「な、長門さんがですか?いっ、いったいどうして?」 「それは分かりません」 俺はいい加減に答えた。もう、朝比奈さんのかわいらしさを堪能している余裕はなかった。メイド服を着た朝比奈さんでも無理なら、何がこの動揺を抑えることができるか。俺はひどく追い詰められていた。すぐにでも自分の部屋のベッドに身をうずめ、長門のことを考えたかった。 それからどれだけ時間が経ったのだろうか、突然ハルヒは立ち上がり、俺達を見つめた。 「じっとしてても何も始まらないわ。明日は学校を休んで、有希を探すわよ。まだ、何か手がかりがあるかもしれない。時間はいつもと同じ九時だから」 いつものような勢いは感じられない、淡々とした語り口だった。 「そうだな。マンションとかに行ってみるのもいいかもしれない」 ハルヒはそれだけを言うと、部室から早足で出て行ってしまった。 「古泉」 「なんでしょう」 「お前はなにも知らないんだな?」 「もちろんです。前に約束したように、長門さんには危害を加えることはありません。というより、不可能でしょう」 古泉はいつものハンサムスマイルを見せた。 「じゃあどうして長門は転校、いや長門のことだからおそらくこの世界から消えてしまっているんだろうな。理由は分かるか?」 「分かりません。ただ、長門さんの転校は上が決定したことでしょう。それに長門さんは従った、推測ですが、おそらく正しいでしょう」 「それは分かってる。あいつが命令を聞くのは情報なんとかだけだろうさ。問題はハルヒっていう観察対象がいるのになんで消えちまったかってことだ」 「すいません。分かりません」 古泉は困ったような顔をして、肩をすくめた。 やれやれ、古泉が駄目なら誰に聞けばいい。俺は、なぜ長門が消えなくてはならなかったのか、その理由を知りたかった。理由があっても納得できるかは分からないが、正当な理由以外はハルヒと結託して、この世界を変えたっていい。 「あの、キョン君」 朝比奈さんがおずおずと話しかけてきた。 「ひぇ! そんなに嫌そうな顔しないでくださいぃー」 そんな顔をしてたのか。 「すみません。ちょっと考え事をしてたもんですから」 「いえ、いいんですけど……」 「で、なんですか?」 明らかに俺は苛立っていた。 「いえ、その……」 「何も無いなら帰りますよ?」 「だから、その……」 「帰ります」 「あ、キョン君」 朝比奈さんが呼び止める。だが、俺は朝比奈さんにかまってる余裕は無かった。古泉ともこれ以上話しても無駄だろう。俺は朝比奈さんを無視して帰るという、男としてあるまじきことをした。鞄を肩にかけ、部室を後にした。 帰りには雨はやんでいた。それにかわって、蒸発した水によって街は蒸しかえっていた。 家に着くと、妹がキャンディーを口にくわえながら出迎えてくれたが、無視して階段を上がった。一刻も早くベッドに身をうずめたかった。 部屋に入ると、鞄を投げ、ベッドに飛び込んだ。そして身体を丸め、もがいた。 「どうして長門は消えちまったんだ? せめて俺に一言ぐらい前もって言ってくれたっていいじゃないか」 そう自分に問いかけても虚しくなるだけだったし、俺は長門がなぜ転校したのか、考えることは断念した。しかし何も考えないでいると、長門との思い出がフラッシュバックしてきて、それを断ち切ろうと、また頭を抱えてもがいた。まだ、長門は消えたとは決まってはいない。明日には見つかるかもしれない。ひょっこりと現れたりするかもな。 長門だって風邪を引くんだぜ。長門達と敵対する存在にまた妨害されているだけかもしれない。長門だって週明けの倦怠感がいやになることだってあるだろうさ。そう、俺だって月曜日の朝は憂鬱になるさ。長門だって落ち込んで、ブルーな日だってある。 その日、俺はそのまま、満たされない気分のまま眠りについた。 次の日。 予定より一時間も早く起きると、昨晩から部屋にひきこもりっきりで何も食べていないことを、軽くなりすぎた胃の不快感が告げていた。リビングに行くと妹がすでにソファーでテレビを見ていて、いつもこんなに早く起きているんだなと感心した。 「あ、キョン君おはよぉー。今日は早いんだねぇ」 「まあな。ちょっと用事があって」 母親がトーストと目玉焼きという朝食の定番を持ってきたところで俺は今日学校を休んで出かけることを告げた。男には一生に一度やらなければならない時が来るとどこかで聞くありふれた理由を切々と説明すると、案外素直に了承してくれた。 「ふふっ。そういうことにしておくわ」 どこか含みを持たせた笑みで俺を見る。 「それなら早くご飯食べちゃいなさい」 「ああ」 言われなくても食べるさ。俺は昨日から何も食べてないんだからな。 俺は疑惑の判定で世界チャンピオンになったボクサーよりあっけなく食事を済ませ、自室に行って手早く服を着替えた。ちょうどリビングから出てきた妹と鉢合わせになり、妹は不思議そうな顔で 「いってらっしゃーい」 と言って、俺を見送った。俺は妹の頭を撫でてから玄関を出た。ママチャリをとばし、集合場所の駅前へ向かった。予定より一時間も早かった。 駅前に到着すると、SOS団の面々は揃っていた。 ハルヒの「遅い!罰金!」の定型句はなかった。遅刻はしてないしな。というか、お前ら何時間前に来てんだ。俺はこれでも一時間も早いんだぞ。 「今日はお早いんですね」 いやみか。 「いえ、そういうわけではありませんよ。あなたのことだから長門さんのことを考えていて眠れなくなり、睡眠不足で来るだろうなと思っていただけです」 てことは、それを見越して早く来たってわけか。 「それもありますね。それはそうと涼宮さんを見てください。彼女の精神はとても不安定です」 そんなの見なくても分かるし、あいつはいつも精神不安定だろうよ。 「そして、彼女は今日一番早くこの場所に来ていました。僕が来たのが今から十分前ですから、それより前に来ていたことになりますね。僕の言いたいことがわかりますか?」 分からん。でも、俺は古泉が何を言いたいのか分かっていた。古泉は俺を非難している。 「長門さんがいなくなって悲しいのはあなただけじゃないってことです。昨日あなたは朝比奈さんを無視して帰りましたね? 彼女、あの後一人で泣いていたんですよ? 『わたしキョン君をおこらせちゃったかなぁ? ごめんなさい』って」 「……」 「涼宮さんはきっとあなたと同じで夜も眠れずにここに誰よりも早く来たのでしょう。でも、僕がここに来たとき彼女は不安な顔一つ見せずに『遅いわよ、古泉君』って笑顔で言いました。さすがの僕でも胸が苦しくなりましたね」 「……」 「僕も同じです。僕だってSOS団のメンバーと色々と時間を共有してきましたし、突然長門さんがいなくなるのは悲しいんですよ」 「……」 俺は何も言えずに、ただ呆然と古泉の顔を見つめていた。「キョン達何してんの? ほら喫茶店行くわよ! 班決めしないと」 タイミングよくハルヒが俺達の間に割り込んでくれた。「ああ、行くよ」 俺達はいつもの喫茶店に行った。俺はコーヒーを、ハルヒはアイスティーを頼んだ。 「じゃあ、班分けしちゃいましょうか」 ハルヒは爪楊枝を取り出し、俺達に差し出す。 「んー、キョンとか面白くなさそう」 班分けは俺とハルヒの組、そして古泉と朝比奈さんの組に決まった。アイスティーを飲むハルヒの顔はいつになく真剣だ。古泉が言っていた通り、ハルヒは俺達の中で一番真剣なのかもな。もちろん俺だって真剣さ。あれだけ俺を助けてくれて、信頼までしてくれていた長門を見捨てるわけにはいかないからな。 「じゃあ、行きましょ。時間もないし。それとキョン! 今日遅れたでしょ?」 ハルヒは俺をじとっと睨みつけると、 「罰金。分かってるんでしょうね?」 言わないと思ったら今頃かよ。しかも今日は遅刻してねえよ。と思いながら、呆れながら、不承不承ながらもきっちりと払う俺を褒め称えてくれるやつはおらのんか。神様が見てる? そんなの嘘っぱちだ。 一度駅前に戻り、俺達は二手に別れた。今回は範囲の指定はなかった。別れ際にハルヒは、 「真剣に探すのよ! でないと全裸で市中引き回しの刑だから!」 朝比奈さんに向かって言った。それから俺のほうを向き、 「さあ、いくわよ。キョン。絶対見つけてやるんだから!」 ハルヒはいつになく真面目な顔で言った。 「分かってるよ。今回は俺も本気だ」 俺はハルヒの真面目な様子を見て、若干気にかかることがあった。それは、長門がいなくなることをハルヒは望んでいたのかということだ。そうじゃないのに長門が消えたとなれば、神様であるハルヒはいったい? 俺達はまず、長門の住むマンションに向かうことにした。ハルヒは怒っているのか不安なのか、初めてみる表情でややうつむきながら大股で歩いた。俺も自然と早歩きになっていた。一秒でも早くマンションに着いて、何か手がかりを得たかったからな。 「ねえ、キョン?」 「なんだ、突然」 「あたしあの後、有希がどうして転校しちゃったのか考えてみたのよ」 「何か分かったのか?」 ハルヒに分かるはずはないだろうが、一応聞いてみる。 「まずね、教師も行き先を知らないような転校なんてあると思う?」 「普通に考えてないだろうな」 「そうなのよ。それに有希は転校するなんて素振りを一度も見せたことはないし」 「そうだな」 「続きは後で。有希の家に行ったら何か分かるかもしれないしね」 ハルヒ、すまんがおそらく長門のことだから何も分かんないだろうよ。まあ、俺はそれでも行ってみる価値はあると思うぞ。 長門のマンションは駅から近く、気まずくなる前に到着した。中から出てくる住民を待ち、閉じかけの自動ドアを通り抜け、長門の住む階へ向かった。もちろん、ドアは開かず、鍵がかかっており、仕方が無いので管理室へ向かった。管理人のおっちゃんによると、まだ708号室からの届出は出ておらず、未だに長門名義の家になっているとのことだった。おっちゃんとの会話を終了させ、708号室の鍵を借り、また七階へと向かった。部屋に入ると、そこは変わらずに無機質なものだったが、本やら缶詰カレーやら、その他いろいろなものが残されており、本当に長門は消えたのかと感じさせた。結局何の手がかりも見つからず、その場を後にし、マンションから出た。その間、終始ハルヒは俺に対して無言を通し、俺も同様だった。 俺達はこれ以上に行くあてもなく、意味も無く歩き続けた。ハルヒの大股歩きについていくのは堪えたが、それ以上に立ち止まっているのは苦痛だった。歩いていると長門のことを考えないで済むからな。住宅地をぐるぐると徘徊していると、 「駅前の公園に行きましょ」 ハルヒがそう言ったので、それに従うことにした。 光陽園駅前公園のことだ。延々と長門の電波話を聞かされたあの日の集合場所である。 公園に着くと、誰もいない公園でベンチに並んで座った。 俺の左側にハルヒが座った。なにか思い詰めた表情で、斜め下を見つめていた。覇気のないハルヒはあまりにも不自然だった。 「やっぱりおかしいわ」 ハルヒは話を切り出した。 「何がだ。昨日考えてたってことか?」 「それもある。でも、有希が転校したって何か辻褄が合わないのよね」 「それは、お前の中でのことだろう」 「そうだけど。キョンは有希が転校した理由は分かるの?」 「いや、さっぱりだ。長門はこういう時、探しても見つからない気がする」 「なんなのよ! あんた有希のこと大事にしてたんじゃないの?」 「急に怒鳴るな。確かに長門は大事だが、それは団員いうか一人の友達としてだ。ハルヒが思ってるほど大事に思ってねーよ」 「そう、なの? あんたもっと有希のこと好きなのかと思ってた」 「そういうことにしといてくれ。それより、お前の辻褄が合わないってやつを教えてくれないか?」 「そうね」 ハルヒは少し間を空けてから話し出す。 「まず、さっき有希の部屋に行った時なんであんなに物が残ってるのか不思議に思ったの。普通、転校っていったらも家を移動することでしょ? なのにあの部屋はまだ全てが残ったまま。それに管理人に鍵を預けているわけでもない。こう考えると有希って本当に転校したのか怪しくなってくるわよね」 「確かにそうだな」 「でね、思ったの有希は何か事件に巻き込まれたんじゃないかって」 「巻き込まれたとしても転校はできないんじゃないか?」 「うーん、そうなんだけど。有希って一人暮らしなのよ。それに親もどこにいるか分からない。誰でも偽装できると思うけど。あたしは団員のプライベートについては聞かないほうがいいと思って今まで聞いてこなかったから、有希については詳しくは知らないけど」 「長門については俺も詳しくは知らないな」 もちろん、それは嘘だ。 「事件に巻き込まれてないといいんだけど」 「そうだな」 俺は素直に頷いた。 そのまま俺達は三十分ほどそのまま座り続けた。隣に座るハルヒは甘美な匂いがした。横から眺める真っすぐとした黒髪と、整った目鼻立ちは見慣れているはずの俺を緊張させた。 誰もいない公園は、自らの存在価値を失い、泣いているようにも見えた。俺達がいることで存在の瀬戸際を保っていた。そして、俺達がいなくなることでまた価値を失うのだ。そんななんの変哲も無い哲学を考えていると、ハルヒはまた話しかけてきた。 「ねえ、キョン」 「なんだ」 「あたし、一つ謝らなくちゃいけないことがあるのよ」 「誰にだ」 「あたし自身に、それに探してくれてるSOS団のみんなにも」 「そうか。お前が謝るなんて珍しいな」 「珍しくなんかないわよ! あたしだって悪い時はあやまるわ。ただあたしはあんまり後ろを見ないだけよ。あたし過去って嫌いなの。過去っていいところだけを鮮明に覚えてるから、見てるとずっと過去に浸っていたくなるでしょ。そんなのあたしの性格に合わないわ。だって、未来にはもっと楽しいものがあるかもしれないじゃない」 そうだ。俺はこんなハルヒの未来志向が好きだった。そして、憧れていた。ハルヒは俺には無いものを持っている。が、話がずれてるだろ。話はハルヒが謝ることじゃないのか? 「で、お前の主張は分かったが謝らなければならないこととは何なんだ?」 「うん。あたしね、有希が転校したって聞いたとき、それは驚いたわ。なんで?ってね。でも、一瞬あたしは楽になった気がしたの。そして、そう感じた自分に失望した」 「なんで楽になったんだ?」 「それは言えない。あたしにも分からないの」 俺とハルヒは公園を後にして、駅前に戻った。 すでに、朝比奈さんと古泉はいて、二人でなにかを話し合っていた。 「こちらは何も収穫なしです」 古泉は残念そうに言った。 「そう。あたしとキョンは有希の家に行ってみたんだけど、 誰もいなくて、手がかりなしね。ホント、どこいっちゃったのかしら」 「残念です。それとすみませんが、バイトが入ってしまったので 午後からの捜索には参加できそうにありません」 ハルヒは少し考えた後、 「それじゃあ、仕方ないわね。 どうせもう探すところなんてないから、これで解散でいいわね?」 俺と朝比奈さんにむかって言った。 「しょうがないよな。一度帰って、各自で探す方法を考えてみるか」 「そうですね。わたしもそれがいいと思います」 朝比奈さんは頷いた。 「それじゃあ、解散ね。明日の放課後話し合いましょう」 ハルヒはそれだけ言うと、駅に向かって歩き出した。 「それでは僕はこのあとバイトがあるので」 「バイトって、閉鎖空間か?」 「そうです。この件で涼宮さんの精神状態は悪化していますからね」 「そうか」 俺は朝比奈さんが手を振って帰るのを見送ると、 「頑張れよ」と古泉に言って、帰宅した。 家に着くと、すぐにベッドに横になり、また長門のことを考えた。 なにか手がかりはないのか、必死に求めた。 今まで、長門はどんな時でもヒントを出してくれていた。 根拠は無かったが、今回もあるはずだということを確信していた。 そして、俺は今までの長門との思い出をめくった。 そして気づく。 ははっ、なんだ簡単じゃないか。 昨日は気が動転していて気づかなかった。 俺と長門をつなぐもの。 そう、あの本だ。そしてそれは栞という形をとって俺に伝える。 そう思う前に、俺は駆け出していた。 学校をサボったことを忘れ自転車で、全速力で学校に向かった。 息が切れた。 全速力といっても自転車の最高速度はせいぜい四十キロ。 速く、もっと速く。 ペダルは空転し、それ以上を拒んだ。 学校に着くやいなや、部室棟に向かった。 階段を駆け上がり、勢いよく部室のドアを開けた。 すぐに『あの本』を探した。 ――――あった。 素早くページをめくり、栞を探した。 はらりと足元に落ちた、長方形の紙。 それを慌てて拾い上げ、読んだ。 『午後七時。光陽園駅前公園にて待つ』 あの時と同じ、ワープロで印字されたような綺麗な手書きの文字が書いてあった。 俺は栞をポケットに入れると部室を後にした。 そしてそのまま、今日ハルヒと座った、あのベンチへと向かった。 長門を待たせたくなかったからだ。 公園につくと、俺はベンチに座り、辺りを見回した。 公園の時計は三時をさしていたが、それでも遅すぎる気がした。 そのあと俺はじっと長門が来るのを待った。 夜風が肌に凍みた。 こういうときの時間は永遠にすら感じるものだ。 長門はどうしてるのだろうか。 昨日の衝撃が、肉体と精神を限界へと向かわせていた。 長門にもう一度会いたい。 せめて、さよならぐらい。 そして、また会おうなって言ってやりたいんだ。 「来たか」 日が沈み、辺りが暗くなった頃、制服姿で長門は現れた。 時計を見ると、七時一分をさしていた。 無機質な表情のまま、俺の前で立ち尽くしていた。 そして一言だけ。 「こっち」 長門は無言のまま歩き出し、マンションに向かっているようだ。 足音のしない、忍者のような歩き方は変わっていない。 歩き出した長門の横を歩いた。 夜風に揺れるショートカットが鮮明に映った。 マンションに着くと、手押ししていた自転車を適当に止め、 今日三度目のガラス戸を抜け、エレベーターに乗り込んだ。 エレベーターの中で俺は長門を見つめていたが、 無表情のまま立っている以外のことを発見することできなかった。 708号室のドアを開けると、 「入って」 長門は俺をじっと見つめ、言った。 「ああ」 玄関で靴を脱ぎ、リビングへと歩いた。 年中置いてあるこたつを指差すと、 「待ってて」 「いや、お茶ならいいぞ。話を聞かせてもらおうか」 「そう」 長門がこたつの前に座ると、俺も向かい合って座った。 「それじゃあ、聞かせてもらおうか。なぜ転校することになったのかをな」 長門は俺を真っすぐに見つめた。 「情報統合思念体はわたしの処分を決定した」 「そうか。思ったとおりだ」 「ただし、今回の決定は私自身の過失に起因するものではない。 涼宮ハルヒの情報を生成する能力が収束に向かっていることが主な原因。 現在の涼宮ハルヒの能力は、 かつて弓状列島の一地域から噴出した情報爆発の十分の一にも満たない。 大規模な情報改竄は不可能になり、情報統合思念体の無時間での自律進化の可能性は失われた」 ハルヒの能力が収束? 「これからのことは最近になって明らかにされたこと。 わたしのような端末には与えられていなかった情報」 長門は一呼吸おいて続けた。 「わたしはわたしの存在理由を涼宮ハルヒを観察して、 入手した情報を情報統合思念体に送ることだと考えていた。 しかし、それだけではなかった。 そもそもそれだけでは矛盾が生じるのは明らかだった。 情報生命体である彼らは宇宙中の情報を無時間で入手することができるからだ」 長門はまた間を空けた。 「彼らは情報生命体である以上、時間という概念を持つことはない。 それゆえに、人間でいう死の概念、そして記憶というものを持たない。 わたしが十二月に異常動作を起こしたのもこれに起因する。 記憶は彼らの中に本来的に存在しないため、 情報として置き換えるのには曖昧さが残った。そのため、バグが溜まっていった。 十二月に実行された世界改変は、 インターフェースのなかでわたしが最も長い時間を生きているために発生した事故」 「それゆえに、わたしの処分は決定的なものとなった」 「で、結局なんで処分は決定されたんだ?」 「涼宮ハルヒの能力の収束に伴い、地球上で活動する、 インターフェースの絶対数を減らす必要がある。 それに加え、記憶によるバグは危険を伴う。 だから、最も時間を経たわたしから順に処分を開始する。当然の処置」 「だとして、いなくなることはないじゃないか」 「……仕方がない」 「仕方がなくなんかない!」 俺は憤慨していた。すでにこの二日で限界を迎えていた。 「長門、お前はどう思ってるんだ?」 「わたしはこの世界に残りたいと感じている」 「なら!」 「わたしには決定権がない」 「なんでお前の意思は尊重されないんだ!」 「……仕方がない」 「ハルヒに俺が『俺はジョン・スミスだ』だということを明かすと 情報なんたらやに伝えてくれ!」 「涼宮ハルヒにはもう時間を改変するほど力は残されていない」 「くそっ。どうすればお前を助けられる? 俺にできることはないのか?」 「ない」 「……仕方がない」と長門は呟いた。 「……どうすればいいんだ」 「……仕方がない」 俺は立ち上がると、長門に近づき、抱きしめてしまった。 それがいいことなのかは分からない。 ただ、強く抱きしめた。 細い身体は今にもサラサラと砂になりそうだった。 長門は抱きしめ返すことはなかった。 ただ、正座したまま動かなかった。 無機質な有機アンドロイド、長門有希。 寡黙な文学少女、長門有希。 そして俺たちはそのまま。 しばらくすると長門は俺の胸を押し、離れようとした。 「あ、すまん。つい勢いで」 俺は長門から離れ、謝った。 「帰って」 「へ?」 俺は間抜けな声を出した。 「帰って。もう時間」 長門は俺を強く見つめた。これ以上はできないぐらいに。 「帰らないと言ったら?」 「あなたのわたしに関する記憶を消すことになる」 「そうか」 俺はしぶしぶ同意し、リビングを出ることにした。 それ以外ないだろ。長門の記憶が消えてもいいのか? 去り際、長門は言った。 「あなたがわたしのことで本気になってくれたことを嬉しく思っている」 「でも、もう時間がない」 そして最後に、 「ありがとう」 長門ははっきりと言った。 俺は何も言わず、玄関を飛び出た。 エレベーターを待てず、階段で降りた。 マンションの前に放置してあった自転車に乗り、走り出した。 輝かない空を見上げ、自転車を全速力でとばした。 「くそっ。どうして俺は何もしてやれないんだ」 そして俺は逃げ出したのだ。仕方がなかったでは済まされない。 だが、自分を責めることはできず、長門を責められるわけでもなかった。 俺は圧倒的な暴力の瀬戸際に立たされていた。 忘れていたのだ、自分が何もできない普通の人間だということを。 揺らぐ意識の中で、長門のことを思った。 せめて、 長門がバグだというその記憶が、 幸せで満たされていることを、ただ、祈った。 chapter.2 おわり。 chapter.3
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三 章 そんなこんなで、とりあえず会社という体裁は整った。作る人、売る人がちゃんと働けば会社は回る。だがSOS団にひとつだけ足りないものがあった。 「あー、みくるちゃんに会いたいわ。帰ってこないもんかしらね」 このところ、これがハルヒの口癖だった。これだけタイムマシン開発を豪語しているのだから、朝比奈さんからなんらかの接触があってもよさそうなものなのに。朝比奈さんはあれから未来に帰ってしまい、それからは音沙汰がない。たまにひょっこり帰ってくることもあるのだが。ハルヒへの説明ではスイスの大学院に留学していることになっている。 「こんにちわ、株式会社SOS団はこちらでしょうか」 ドアが開いた。来客も珍しく、誰がやってきたのかと全員がそっちを見た。 「みくるです。その節はどうも~」 会いたい願望が通じたらしい。さすがハルヒである。こいつにかかれば時間を越えようが空間を越えようが、逃げ切れるものではないな。 「これはこれは朝比奈さんじゃないですか。お久しぶりですね」 「キョンくん、みなさんもお久しぶり」 「……」 「あら、みくるちゃん。帰ってたんだ」 「お元気そうでなによりです」 「もう、ずっとずっと会いたかったわよ~」 ハルヒはひとまわりグラマーな体つきになった朝比奈さんに抱きついた。朝比奈さんは困った顔をして笑った。朝比奈さんの風体は、俺が知っている朝比奈さん(大)と同じタイトスカートと白のブラウスだった。左腕に金色のブレスレットもしている。もしかしたらあのときの朝比奈さんなのだろうか。 「どう?チューリヒ大学は。いい男捕まえた?」 「やだ涼宮さん、そんなことしませんよぅ」 「赤くなってるところを見ると、いい獲物がいたようね」 「ちがいますってばぁ」 未来に帰っても朝比奈さんは朝比奈さんだ。照れて頬が染まるところとか、そのままだな。 スイスのお土産です、と小さな包みをくれた。俺が開けてもいいですかと言い終わらないうちにハルヒが早々と中身を検めている。 「キョン見て見て、金塊よ金塊。スイスゴールドよ!」 「ほんとかオイ」 「やだ、それチョコレートですよ」 なるほど、スイスといえば金塊チョコか。にしても、わざわざアリバイ作りのためにこんな高価なものまで、と苦笑めいた俺の表情を見てか、 「あら、ほんとにスイスにいるんですよ今」と俺だけに聞こえるように言った。 「えっそうなんですか」 「スイスのある研究所で働いてるの」 「へー。やっぱ時間関係ですか」 「スイスだけにね、ってちがうちがう」 手をぶんぶんと振る朝比奈さんのノリツッコミはかわいい。 「あとでちょっと話せます?」 俺は腕時計をさして尋ねた。 「ええ、時間は大丈夫です」 ハルヒたちがチョコを食ってる最中に抜け出して、俺と朝比奈さんは喫茶店に入った。 「ハルヒが今度は、タイムマシンを作ると言い出したんですよ」 「ええ。詳しくは言えないけど、わたしはそのために来たんです」 「ひょっとして、ハルヒがタイムマシンを作るのは既定事項なんですか」 「いいえ。涼宮さんは時間移動技術のはじまりに関わってる人の知り合いっていうだけで、開発に直接的には関わってないはずなんです」 「もし完成でもしたら、どうなります?」 「我々はそれを懸念しているんです。そんなことになったら時間移動技術に支えられている既定事項が崩れてしまうから」 「というと?」 「タイムマシンが完成する前にタイムマシンが完成したら、既定の歴史が混乱するの」 「ややこしいですね。あきらめさせたほうがいいですか」 「そうとも言えないの。涼宮さんの存在は時間移動技術に深く関係があるの。本人自身は関わらないけど、事が始まるための最初のポイント、と言えば分かってもらえるかしら」 「つまりハルヒがタイムマシン開発のスタート地点ということですか」 「そういうことね」 「朝比奈さんの役割は何なんです?」 「涼宮さんと、この会社の監視。時間移動の実験はいろいろと危険が伴うの。時空震もそのひとつだけど、そのための監視ね」 「ということは、しばらくこの時代にいるわけですか」 「そういうことになります。しばらくお世話になると思うけど、よろしくお願いしますね」 「もっちろんですとも」 俺は俄然やる気が出てきた。また朝比奈さんと一緒に過ごせる日々が訪れたんだ。 「いくつか質問していいですか」 「教えられることなら、どうぞ」 「ええと、あなたは高校時代の俺に会った朝比奈さんなんでしょうか。つまり、白雪姫の話をしてくれた?」 「あれはわたし。すべて終えてからここに来たの」 「それと、あなたの本当の歳は……教えてもらえないんでしょうね」 朝比奈さんは人差し指を立ててウインクした。 「禁則事項です」 相変わらず、この人の笑顔は男をときめかせる。 「忘れてました。朝比奈さん、いつだったか車に轢かれそうになった少年を助けたことがありましたよね」 「え、ええ」 「あの子とこの会社のつながりはあるんでしょうか」 「ええと、この会社自体が既定事項にないことなので本来は関係ないはずなんです」 「というと、今後つながりがある可能性も出てくるわけですか」 「なんとも言えないの。禁則事項ではなくて、わたしにはそういう未来は見えないから」 「というと?」 「歴史というのはいくつかの既定事項が重なって出来ているの。だからこの会社がどういう既定事項をたどるかで別の未来になってしまうの。別の道を進み始めた歴史はわたしには見えない」 相変わらず時間というのは難しいようですね。 「その少年の様子を見に行ってみませんか。あれから音沙汰ありませんし」 「わたしも気にはなっていましたから、行ってみましょうか」 ハルヒには営業に行くと言い残して、二人で電車に乗って祝川駅まで出かけた。ハカセくんの家はハルヒの実家の近くらしいんだが、俺はどの番地なのかまでは知らない。先を歩いていく朝比奈さんは知ってるようだ。 あのとき敵対するグループとやらに誘拐拉致までされたにもかかわらず、朝比奈さん(大)は俺たちがなにをやっているのか教えてはくれなかった。川べりからカメを投げ込んだ様子はどう考えても時間移動に関係のあることらしい。すべてが明らかになる日には、朝比奈さんの所属する時間移動の組織が生まれていて、それはずっと未来の話だろう。 俺と朝比奈さんは東中学校の校区をうろうろ歩き、番地を確かめつつ住宅街をあちこちさまよった挙句、それらしき家にたどり着いた。 「朝比奈さん、いきなり尋ねちゃっても大丈夫でしょうか。怪しまれませんか」 「それもそうですね。こっそり様子見るだけにしましょうか」 二人で隣の家の壁に隠れて人の気配をうかがった。金融公庫と銀行の三十年ローンで買えそうな、ありきたりな一戸建てだ。 「誰もいませんね。住所は確かにここですか」 「ええ、記録ではそうなっています」 その場で十五分ほど見張っていたが、誰の出入りもない。二階の窓のカーテンは閉まったままだ。一階の掃き出しの窓は生垣の向こうでよく見えない。犬は飼っていないようだし、ちょっと忍び込んでみるか、なんて法に抵触しそうなことを考えていると、「あの、どちらさまでしょうか」突然背中から呼びかけられて俺と朝比奈さんはビクと飛び上がった。 「あの、いえ、なんでもないんですっ」 空き巣に入る算段をしているところを見つけられた泥棒になった気分だ。 「あ、もしかしてウサギのお姉さんですか?」 ずっと前に見た面影のある、少年と呼ぶにはやや歳を食っているかもしれない眼鏡の少年がそこにいた。ハカセくんだった。 「ハカセくん?だいぶ前に祝川公園でカメを渡した」 名前を知らないので俺たちの通称で呼んでみたのだが、少年は特に違和感のない表情をしていた。 「そうです。僕のあだ名ご存知なんですね」 ハカセくんは笑った。昭和の某漫画じゃあるまいに、いまどきハカセくんをあだ名につける子供もいないだろう。俺と同じく親戚の叔母さんか爺さんにでもつけられたのだろうか。 「ここじゃなんですし、ちょっと上がりませんか。今学校から帰ってきたところなんです」 「その制服、北高?」 「ええ、そうです。もしかしてOBの先輩ですか?」 「まあそうだ」 俺たちの後輩にハカセくんがいたなんて知らなかった。二人はハカセくんの案内で家の中に入った。ふつーにありそうな一般的庶民の雰囲気だ。調度品やら家具は俺んちの居間に似てなくもない。当たり前だがタイムマシンもなかった。 「ということは今受験生?」朝比奈さんが訊いた。 「ええ、そうです」 「どこを志望してるの?」 「いちおう、ここから通える国立なんですが」 ハカセくんは少しはにかんで答えた。へー、それはまた奇遇だね。俺は朝比奈さんを見た。 「これは偶然ではないですよね」 「どうかしら……」 朝比奈さんは考え込んでいるようだった。 「なにが偶然なんです?」 「俺はその大学のOBなんだ」 「そうだったんですか。もしかして涼宮姉さんもですか?」 「そうそう。ハルヒもだ」 あと宇宙人と超能力者もそうだが。 「ハカセくん、どこの学部なの?」 「いちおう物理学で素粒子物理を専攻したいと考えてるんですが」 朝比奈さんの耳がピクと動いた。 「あの、ヘンなこと聞いていいかしら。もしかして宇宙論とか時間論とか時間平面……じゃなくて時空構造論とかかしら」 「詳しくは知りませんが、たぶんそっちにも繋がるんじゃないかと思います」 朝比奈さんは腕組みをしてうーんと考え込んでいた。ハカセくんがお茶かなにかを用意しにキッチンへ引っ込んだところで、耳打ちした。 「朝比奈さん、どうかしましたか」 「あの、わたしが彼と話をしていること自体問題あるのかもしれないけど、この子が時間移動技術に関わるのは間違えようのない事実なの。でもこんなに早くから関わっていたとは思わなかったわ」 「ということは時間移動技術を知っている朝比奈さんが開発に関わってしまうということですか?」 「そこが問題なの。そういう歴史は知らないし、知らされてもいないの」 しばらく考えていた二人は、納得できるひとつの妥当な答えにたどり着いた。 「これはハルヒじゃないですか」 「もう、それしか考えられないわ」 「この際だから、ハカセくんをハルヒに引き合わせてみませんか」 「え、でもそれは……」 それはどういう結果を招くのか分からない、と確かに俺も思う。 「元々ハルヒが勉強を教えていたみたいですし」 「うーん……。こんな歴史はないはずなんだけど」 未来と通信しているらしき仕草をしていたが、困った表情で唸るばかりだった。未来にいる時間移動管理のお役人とやらも前例がないことへの対応を苦慮してるんだろう。 「最近会っていないんですが涼宮姉さんは元気ですか」 ハカセくんがお茶と羊羹をお盆に載せて戻ってきた。 「ああ、元気元気。もう元気すぎて空回りしてるよ」 俺は渋いお茶をすすりながら苦笑して言った。 「いいですね。あの人にはなにかしら人を巻き込んでしまう台風みたいな不思議なエネルギーを感じます」 俺はその台風と七年も付き合わされてるんだけどね、えへへ。 俺はまだ意見を決めかねている朝比奈さんの様子を伺いながら、フライングを切った。 「そのハルヒなんだが、会社を作ったんだ。ハカセくん、よかったらうちでバイトしないか」 案の定、朝比奈さんが目を丸くして止めようとした。 「キョンくん、そんなこと言って大丈夫なの!?」 「ええ。ちょうど人手も足りなかったことですし、物理学に多少なりとも覚えのある人が欲しかったんですよ」 「いいですけど、どんな仕事なんですか」ハカセくんはちょっとだけ考えて答えた。 俺はできるだけ目を泳がせないように、ハカセくんを正視して言った。 「タイムマシン、を、作る」 ほとんど棒読みだった。その場の空気が摂氏四度くらいに急速降下して凍りついた。俺ってハルヒと付き合ってきて人との話し方を忘れてしまったんじゃないか。 「それ本気ですか?」 「本気も本気、猿並みに本気」 「いいですけど」 ボソリと呟いたハカセくんの目がキラキラしているのは気のせいだろうか。この目、誰かのに似てないか。 「どうやって作るおつもりですか」 「それもまだこれから考えるんだ」 「なるほど……」 「ハカセくんもなにかと物入りだろう。遊びに来てくれるだけでいいから時給出すよ」 「それは嬉しいお誘いですが、毎日は通えません。学校やら塾やらでいつも帰りが遅いですから」 「どうだろう、ハルヒが受験勉強の手伝いをするというのは」 「それなら助かります。たぶんうちの親も承諾するでしょう」 こういうとき、こっちの都合のいいように事を運ぶ知恵が働くのは俺の得意とするところだ。 「じゃあ、二三日中にハルヒから連絡入れさせるから」 「分かりました。よろしくお願いします」 ハカセくんがぺこりと頭を下げた。素直でいい子だよな。こういう貴重な人材は早めに確保しといたほうがいい。 俺たちはお茶のお礼を言ってハカセくんの家を後にした。 「俺思うんですけど、朝比奈さんが知らない未来ってことはまだ既定事項じゃないってことですよね」 「そう、だと思うけど」 「ということは、ここからの未来は当事者が作ってもいいんじゃないですか」 「そうね。そうかもしれないわね」 まだ合点が行かないように考え込む朝比奈さんは、たぶん歴史の保全ばかりを気にしていて、自らが作る歴史というのに不安があるんじゃないかと俺は思った。あなたは自分で自分の歴史を作るつもりはないんでしょうか、と尋ねるには俺はまだ若すぎるが。 「じゃあ、わたしはここで」 「俺は一度会社に戻ります」 「また明日ね」 朝比奈さんは右手をにぎにぎして言った。振り返るともういなかった。もしかして未来と現在を日帰りしてんのかな。 会社に戻ったときには六時を過ぎていた。ハルヒと古泉はいなかった。 「待ってたのか長門、すまんな。帰りに晩飯おごるよ」 「……乙、あり」 「ハルヒが昔家庭教師をしてやっていたやつで、今高校三年生の子がいてな。そいつに会った」 「……知っている。未来からの干渉で交通事故を装った殺人に巻き込まれそうになった」 「知ってたのか。あの子をバイトに雇おうと思うんだ」 「……そう」 長門はあらかじめ知っていたという感じで、頭を七度くらい傾けてうなずいた。 「あの子、長門のいた学部を志望してるらしいんだが。もしかして予定の行動?」 長門は何も答えず、ただ微笑らしきものを浮かべただけだった。こいつのことだ、すべて知っていたに違いない。ハルヒが会社を作るとわめき始めるのも、タイムマシンを作ると豪語するのも。 「……知っていたわけではなく、予測と誘致」 「なるほど。じゃあハルヒがタイムマシンを作ることに関しちゃそれほど懸念はないんだ?」 「……阻止するより、コントロールするほうが望ましい」 ハルヒの監視を続けて十年、長門はついに悟りを開いたようだ。 翌朝、ハルヒ社長から重大な発表があった。 「みんな、いい知らせよ。みくるちゃんが非常勤務でうちの会社を手伝ってくれることになったわ」 「それは素晴らしい。またあの頃のように五人で賑やかにやりましょう」 古泉が喜んでいた。あの頃みたいな非日常的騒動の毎日はごめんだぞ。 「さあっ、みくるちゃん。あなたのために衣装を用意したのよ。さっそく着替えて」 ハルヒはフリルの付いたドレスを取り出した。朝比奈さんのために新調したようだ。俺と古泉は、またあのコスプレを見られるのかとワクワクしていた。ところが朝比奈さんは顔を縦には振らなかった。 「それはいやです」 「えー、せっかく買ってきたのに。ちゃんとサイズも合わせてるのよ」 「だめです。わたしはもう涼宮さんの着せ替え人形ではないの」 ハルヒが唖然とした。はじめて見せる、ハルヒに対する朝比奈さんの頑とした態度だった。睨まれたハルヒはたじたじとなった。 「ねえ、お願い。あたしじゃ似合わないのよね」 「いや、です」 朝比奈さんは腕組みをして譲らなかった。 「困ったわ……」 ハルヒは用意した衣装を持ったまま、どう取り繕えばいいのか分からず俺たちに視線をさまよわせた。よくぞ言った朝比奈さん。今まで朝比奈さんを散々おもちゃにしてきたから、ハルヒにはちょうどいいクスリなのだ。俺にはちょっと残念だったけど。 「……わたしが、着る」 それまで黙ってパソコンのモニタに向かっていた長門が、ぼそりと言った。 「そ、そう?有希が着てくれるの?」 もう、この際誰でもいいという感じでハルヒは渡りの船に乗った。 「……貸して」 長門はハルヒの手から衣装を受け取り、会議室のドアを閉めた。 「有希、手伝おうか?背中ちゃんと締められる?」ハルヒがドア越しに尋ねた。 「……いい。やれる」 しばらくごそごそと衣擦れの音が聞こえていたが、やがてドアが開いた。アリス系ロリータのエプロンドレスに身を包んだ長門が現れた。それを見た四人が、ほぅ!まぁ!これは!と感嘆の声を漏らした。小柄な長門にはボリュームのあるドレスが似合う。似合いすぎている。朝比奈さんとは別の意味でいい。朝比奈さんとはサイズも体型も違うはずだが、分子情報操作とかで裁縫か。 「ピンクが栄えていますね。今までこういう衣装を着た長門さんを見られなかったのが、もったいないくらいです」 「なぜ今まで気が付かなかったのかしら。有希、すっごく似合うわ。ほら、ヘアバンドしてみて」 そう、ロリータファッションと言えばヘアバンドだ。 「……どう」 ヘアバンドを髪に巻いてあごのところで小さく結んで、俺を見た。微笑っぽいものが浮かんでいるところを見ると本人も気に入ってるようだ。俺はにっこり笑って親指を付きたてた。 「長門、似合ってるぞ」 「な、長門さん、似合ってますよ……」 気のせいかもしれんが、朝比奈さんの口数が減っている。もしかして役柄を取られて後悔してるんじゃありませんか。 「部長氏、ちょっといいものを見せたいんだけど」 俺は内線をかけて、長門の親衛隊を自称する開発部の連中を呼んだ。 「おおおお」 ドアを開けるなり部長氏以下五名の感嘆のコーラスが響いた。 「スバラシイ。とてもよくお似合いです、副社長」 もう長門の元にひれ伏して靴にキスでもしそうな勢いだ。 「……そう」 長門がちょっとだけ微笑んだ。これ、来客のときも着てくれると営業効果あるかもな。長門にはなにかこう、特殊な部類の人種を惹き付けるオーラのようなものがあって、黙っていてもそいつらが寄ってくる。俺もそのうちのひとりなわけだが。 そのようなわけで我が社のマスコット的コスプレイヤーはしばらくの間、長門ということになりそうだ。 「そういえばハルヒ、お前高校の頃家庭教師やってたろう」 「突然なによ。まあ、やってたけど」 「あのときの男の子はどうしてるんだ?」 「さあ……もう高校生くらいなんじゃないの?」 「あの子をアルバイトに雇ってもらいたいんだが」 「いいけど、バイトなんか必要なの?」 言っとくが開発部の連中はマンパワーぎりぎりで、いつでも人を欲しがってるんだぜ。 「タイムマシンに興味があるらしいんだが」 この単純な社長を動かすにはこれだけで十分だった。 「へー、そうなんだ」 「今年受験生で物理学部を受けるらしい」 「そうね、人材にも投資しないとね。昔の人はいいこと言ったわ。腐ったリンゴをつかみたくなければ、木からもぎ取ればいいのよ」 それってなにか、俺は腐ったリンゴか。 ハルヒは自宅に電話をかけ、ハカセくんの家の電話番号を聞き出しているようだった。再度かけなおし、ハカセくんを呼び出していた。 「今週中に来てくれるって」 「そりゃよかった」 「あんた、ほんとにタイムマシンなんか作れると思ってんの?」 「お前が言い出したことだろ」 「あたしは過去に行ってみたいだけよ。タイムマシンの仕組みなんか知ったこっちゃないわ」 この人はいつもこれだからな。 「まあなんとかなるんじゃないか?科学技術は日進月歩爆走してんだろ」 「あたしが今から開発をはじめて、孫の孫くらいに完成すればいいくらいに思ってるだけよ。そしたらどの時代にでも連れて行ってくれそうじゃない」 未来への投資か。自分の手でなんでもやってやるという、いつものこいつらしくないな。こいつの願望を実現する能力がなけりゃ、とても今世紀中の完成は無理だろう。 「創始者のお前がそんなこっちゃできるもんもできなくなるぞ。もっと自分を信じろ。やればできる、成せば成る。心頭滅却すれば火もまた涼し、じゃなくて、石の上にも三年、じゃなくて、我田引水じゃなくてええとなんだ」 「それを言うなら、千里の道も一歩からでしょ」 「そうそう、それだ」 いまいちぱっとしないよなあ。やっぱ古泉のいうとおり、ハルヒの活力やら突拍子思いつきエネルギーやらが薄まっちまってる。ここはひとつ、まわりが盛り上げてやる必要があるかもな。 「実は俺も時間旅行が好きなんだ」 「へー、そうだったの。初耳だわ」 朝比奈さんと目の回るような時間移動を何度も経験している俺がいうんだから、嘘じゃない。たまに吐きそうになるくらい好きだ。 「どの時代に行くんだ?」 「完成したらの話よ」 「じゃあ完成したらいつの時代に行くんだ?」 「そうね。十年前ぐらいがいいわ」 「十年前ってーと中学生くらいか。自分にでも会いに行くのか」 「自分に会ってもしょうがないでしょ。ちょっと会いたい人がいるのよ」 十年前……?死んだ爺さんか婆さんにでも会うのか。 「勝手に殺すんじゃないわよ。まだピンピンしてるわ」 「じゃあ完成したらみんなで行こうぜ。俺は自分に小遣いでもやりたいぜ。あの頃はバイトもできなくて貧乏だったからな」 「そうね。それもいいかもね」 ハルヒは頬杖をついてぼんやりと遠くを見ていた。こいつのメランコリーの原因はどうやら過去にあるようだ。 次の日ハカセくんがやってきた。学校の帰りにハルヒに捕まったらしい。 「期待の新人、ハカセくんを連れてきたわよ」 「あ、先輩こないだはどうも」 ハカセくんに先輩呼ばわりされちまってるぜ俺。 「よう、来たな。こっちが古泉、こっちが長門だ。長門はハカセくんが志望する専攻の研究室にいる」 「ほんとですか、よろしくおねがいします」 「……長門有希」 「ようこそハカセさん、なにもないところですが。今お茶を入れます」 「ありがとうございます」 丁寧に腰を四十五度に曲げてあいさつをするハカセくんだった。今日は朝比奈さんが来ていないので古泉がお茶当番だ。 「あれからいろいろと調べてみました」 「なにを?」 「タイムマシンに使えそうな技術です」 この子はピザの宅配並みに気が早いというか。 「すごいわねハカセくん。将来はノーベル科学賞ね」 「涼宮姉さん、気が早すぎますよ。まだ勉強しはじめたばかりです」 ハカセくんはてへへと照れた笑いを浮かべた。 「ハカセくん、本を買ったら領収書もらっておいてね。会社の経費で清算してあげるから」 それより図書カードを渡しといたほうがいいんじゃないか。いくら清算してやるといっても財布に限界があるだろう。あとで経費で商品券でも仕入れとくか。 「ほかになにかいるものは?」 「ええと、とくにないと思います。今のところは」 「そうだ、白衣が必要だわ」 「白衣ってまさかナースか」 「バカね、実験着の白衣よ」 ああ、科学者が着てるやつね。長門にナース服を着ろというのかと思った。それはそれで見てみたい気もするが。 「……これ、読んで」 長門が分厚い本をハカセくんに差し出した。前に見たようなシーンだな。 「量子論ですか?」 「……そう。それからこれも」 「量子力学ですか」 長門の抱えた本は古びて表紙の文字が薄く消えてしまっていた。これ見覚えがあるんだが、もしかしてかつて文芸部部室にあったやつじゃ。 「ちょっと僕にはまだ難しいです。高校の物理程度のことしか……」 パラパラとページをめくるハカセくんは苦笑いしていた。 「……大丈夫。わたしが教える」 まあ長門と庶民的高校生じゃ知識の差がありすぎるが。いい教師にはなるだろう。 ハカセくんはハルヒの尽力(もとい圧力)によって今通っている塾をやめ、大学受験のための勉強をハルヒに、さらにタイムマシン開発のための勉強を長門に教わることになった。勉強を教えてもらってしかもバイト代が出るってのもエサで釣ってるようでアレだが、まあ本人が喜んでいるのでいいとしよう。 【仮説1】その1へ
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―――― 二日目 2 ―― それにしても台湾に着てからのハルヒの機嫌というのは不安定である。いつもなら とても機嫌がよく俺たちに迷惑事を振り掛けるか完璧にメランコリーで話しかけても うっさいわね。バカ。アホ。マヌケ面。と言われるかの二つに一つのはずである。そ のはずがどうだろう。台北101では急に女の子になってみたり、かと思えばいつも のように傍若無人っぷりを遺憾なく発揮してみたりと忙しい。まったく修学旅行って いうのはこれほどまでも人を変えるとはね?クラスに一人はいるんじゃないのか?ソ コ!いないのか? ホテルを出発して一時間が経とうとしている。今、俺とハルヒは繁華街の中にいる。 俺とハルヒは土産物屋や服やに立ち寄り妹へのお土産や朝比奈さんへのお土産となる チャイナ服などを物色していた。 「ねぇ、キョン?これなんかみくるちゃんにぴったりじゃない?」 と、ハルヒが差し出したのは背中がパックリと開いた真っ赤なチャイナドレスであ った。うん、悔しいがこれを着た朝比奈さんを見てみたいな。 「こら!エロキョン!変なこと考えてるでしょ」 最近思うんだが俺は思ったことが顔に出やすいタイプなのかね?誰か教えてくれ。 結局お土産は荷物になるから最後ということで、俺とハルヒは再び町へ出た。台北 の市街地は中心地は東京と比べても見劣りしないほど近代的であったが、少し路地へ 入ると中国文化の香り漂う趣深い町並みが並んでいた。テレビのブラウン管を通して しか見たことのないような屋台が立ち並び、そこで生活する人々の活気がひしひしと 伝わってくる。まさかこれほどすばらしい街だとは思いもしなかったぞ。いつかSO S団のみんな、朝比奈さんを連れてもう一度来るのも悪くないかもしれないな。 出発してからというもののハルヒは修学旅行を楽しむ普通の女子高生を続けている。 本来であれば普通というものを一番嫌うハルヒであるから考えられないことであり、 俺自身も驚くべきことであった。そんなことを考えながら街を歩いているとおもむろ にハルヒが口を開いた。 「ねぇ。キョン?台北101に行きましょう」 ハルヒの口から放たれた言葉は思いもよらないものだった。 「台北101?昨日も行ったじゃないか。あそこになんか不思議はないぞ?」 「うるさいわね!団長に黙ってついてくればいいのよ!」 「なぁ、ハルヒ。修学旅行に来てからのお前、なんかおかしいぞ?」 「おかしいって何がよ?」 「わからんがいつものお前でないことだけは確かだ。」 「こっのバカキョン!!アンタはどこまで鈍感なのよ!」 「ハルヒ、言ってることがめちゃくちゃだぞ?」 「うるさいうるさいうるさ――――い!あんたはねぇ、あたしのことをぜんぜんわかっ てない!キョン!耳の穴かっぽじってよく聞きなさいよ!あたしはねぇ、アンタのこと がs・・・・!!」 そのとき、世界が崩れた。 しばらくの間、俺は目を開けることができなかった。世界が『崩れた』瞬間、俺は無 意識にハルヒを抱きしめていた。目を開けると怯えたハルヒが俺の腕の中にいた。あた りに目を配ると周りにあったはずの屋台や店がなくなり代わりに瓦礫の山があった。こ のとき初めて地震に遭ったという事を理解した。修学旅行先でまさか地震に遭うとはな。 これもハルヒの力か? 「ハルヒ、怪我はないか?立てるか?」 俺はハルヒの手をとり立ち上がろうとした。 「ほら掴まれy・・・!」 足が震えて立てなかった。情けないね。自分の足に拳で渇を入れ俺は何とか立ち上が る。ハルヒに手を差し伸べる。ハルヒは俺の手につかまるが足が震えて立ち上がること ができない。俺は震えるハルヒを抱きしめた。 「キョン・・・」 弱々しいハルヒの声。・・・みんなはどうなったんだ? 「ハルヒ!みんなを探さないと!立てるか?」 「立てるわけないじゃない・・・・。おぶりなさい!団長命令よ!」 震える声を絞り出すハルヒ。俺はハルヒをおぶり、ホテルへ向かうことにした。台北 の街はあちこちで建物が崩れ人々が救助活動に奔走している。谷口や国木田、阪中はど うなったのだろうか。早くみんなに会いたい。 どれほど歩いただろうか。日は暮れ、灯の消えた街は不気味だった。あちこちから人 のすすり泣く声や悲鳴、安否の取れない家族を呼ぶ叫び声などが飛び交っている。昨日 台北101から眺めた街とはとても思えない。あれほど美しかった街は 「キョン!ちょっと?まだホテルに着かないの?」 「・・・・・。すまん。実はな、ここがどこだかわからない。」 「えぇ?キョン!道に迷ったっていうの?」 「認めたくないがそのとおりだ。」 「まったく使えないわねぇ。」 俺の背中でずっと寝てたお前に言われたくはないんだがな。ハルヒは俺の背中から飛 び降りると俺をズバッと指差し、 「ちゃんとあたしのことを守りなさい!わかったわね!」 と言い放った。いつものハルヒに戻ったようだ。 「わかったよ。ハルヒ。」 「わかったならホテルに向けて出発するわよ!」 こうして冒頭に戻るわけであるが、いつまで歩いてもホテルに着きそうもないのはな いのはなぜだろうね。やっぱり暗いからか?とりあえずホテルに着かなきゃにっちもさ っちもいかないんだがな。 「ちょっと!キョン!ここどこなのよ!」 わかっていたらさっさとホテルについているんだがな。それにしても地震というもの はひどいものである。建物をなぎ倒し人の命を奪っていく。まったく人間というのは非 力なもんだね。 腕時計をみると時刻はすでに午後10時をまわっていた。月の見えない真っ暗な空が 閉鎖空間をイメージさせる。いっそのことここが閉鎖空間であったらどれだけ気持ちが 楽だったであろうか。ハルヒにキスするだけで・・・、いや楽でもないか。それはそれ で気疲れしてしまう。 「ねぇ。世界の終わりって今みたいなものなのかな?」 ハルヒが口を開いた。 「さぁな。そのころは俺たちは生きちゃぁいないさ。」 「でもね、あたしが何かしようとするたびにこの世界を壊しているような気がするの。」 「・・・・。」 「もし、わたしがSOS団なんて作らなければ、あたしやキョン、有希や古泉君、みくる ちゃんがもっと楽しく暮らすことのできた、『壊れていない』世界があったのかもしれな い。そう考えただけで・・・」 「それは違うんじゃないか?ハルヒ。俺は今、ハルヒとこうしている世界が『壊れていな い』世界だと思っている。それは長門や朝比奈さん、古泉も同じだと思うがな。」 「でも・・・。もし・・・」 「『もし』は無しだ、ハルヒ。俺からしてみたらお前のいない世界こそが『壊れた』世界 なんだ。」 俺はそのことを去年の12月に思い知らされているからな。 「ハルヒの世界もそうだろ?俺や有希、朝比奈さん、古泉がいない世界なんて考えられる か?」 そこまで言って気がついた。ハルヒは涙を流していた。 二日目3
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ハルヒが誘拐された。 犯人は俺に4つの鍵を集めればハルヒを返すといった。 鍵というのは、SOS団の他のメンバーのことらしい。 つまり、SOS団が揃えばいいということらしい。 とりあえずハルヒを取り戻したい。そういう思いで俺は長門のマンションを訪ねた。
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「何が起こってるんだ」 俺はもう何度となく口にしたセリフを飽きもせず漏らした。 長門だけがいない。そのうえハルヒやその他の連中に長門の記憶はない。古泉は欠席中。それが今の俺の置かれた状況である。長門だけがいない? 何故だ。 はっきり言って、俺一人では見当もつかん。 考えようたって俺の頭は絶賛混乱中につきまともに回転してくれないのだ。そうだろう。一般人だったら俺みたいな感じになるに違いない。 まあ、俺一人ではどうしようもできないというのは俺がこの上なく一般人だからという理由をつけて、朝比奈さんぐらいの相手なら口論で言い負かす自信はあるがな。だがしかし朝比奈さんを言い負かしたところで何の利益も生まれず、そして今はそれどころではない。 いや、待てよ……。 朝比奈さんだ。 というわけで、そう気づいたのは右耳から入ってくる情報を左耳に受け流しているような一、二時限目の授業が終わったときだった。 授業中、俺のシャーペンはいつもに増して動作停止の割合が高かったがせめて今日ぐらいは大目に見て欲しい。そして俺の願いが通じたのか、運のいいことに教室内を無駄に徘徊しまくる教師に咎められることはなかった。なぜだろう。 だからそんなことを疑っている場合ではない。 今は朝比奈さんだ。 SOS団で残った可能性といえば彼女くらいなものである。ハルヒは記憶がおかしいし、長門と古泉は学校にはいない。長門にいたってはこの世界にすらいないのかもしれん。 俺は確認の意味もこめて後ろを振り返った。 「おいハルヒ」 俺の後ろにはやはりハルヒがおり、終わったばかりの英語の授業道具をせっせと片づけていた。 「何? 知り合いの女の子の自慢話ならお断りよ」 「そうじゃなくてだな、お前朝比奈さんを知ってるか?」 ハルヒは呆れたような顔になった。 「あんたまたそんなこと言ってるの? 何それ、最近流行りのゲームか何か?」 「そんなわけないだろ」 「まあいいわ。言っとくけどね、あたしはあたしの団の団員を忘れるようなことは絶対にしないから。あんたは微妙だけど、古泉くんとみくるちゃんなら一生忘れない自信があるわよ」 心強い返答だ。口に出して言えるわけはないが、どうせなら長門のことも覚えててくれればよかったのにな。 「それで、みくるちゃんがどうかしたの?」 「いや、何も」 「何よそれ、気になるじゃないの。訊いたなら訊いただけのことはしなさいよね」 「本当に大した理由なんかない。俺がちょっと血迷っただけだ」 ハルヒには悪いが、今は三年の教室へと急がねばならん。ハルヒの「あんた今日血迷いすぎよ」とかいう言葉を背に、俺は席を立って廊下へと繰り出した。 ハルヒが朝比奈さんのことを知っているということは、朝比奈さんがここにいる可能性は高い。古泉のことも知っているらしいから、古泉も学校じゃないにしろどこかにいるのだろう。 何しろハルヒはこの世界の神様的存在である。古泉の考えを立てるのなら、ハルヒの記憶には朝比奈さんがいるのに実際はいないとか、あるいはその逆とか、ハルヒが本質的な矛盾を感じるようにはなっていないはずなのでである。それは同時に長門が存在しないことの証明でもあるわけだがな。 俺はちらりと時計を見た。三限の開始にはあと五分ほどの余裕がある。五分もあれば三年の全教室を見て回ることもできるだろうか。少し足りないかもしれない。 しかしそれは杞憂に終わったようだった。 それもそのはず、俺が三年の教室につながっている階段の踊り場に立ったとき、上の階から階段を降りてくるお方が俺の目に入ったからだ。 深くうつむいて唇を引き締め、可愛らしくも今はどんよりと暗い精神状態を前面に出している少女。 それが誰か、言わなくても解るだろ? SOS団専属のお茶汲み兼マスコット兼メイド兼書記。そして俺の精神安定剤女神様が、まさに目の前にいた。 「朝比奈さん!」 俺の声にハッと顔を上げた朝比奈さんは、しばらくクリスマスにサンタクロースを見つけてしまった純真な子供のような目で俺を見ていたが、やがて不格好なフォームで階段を駆け降りてきた。 「キョンくん――」 語尾を消滅させるような発音をして、再度そこにいるのが俺であるのを確かめるように俺の顔をのぞき込んだ。不安げな表情がやや明るくなっているように見えなくもない。 朝比奈さんは何か言いたそうにしていたがどうも言葉がうまく出てこないようで、やはり俺から何か言わねばならない。 瞬時に思いついた言葉の中でどれにしようかなを行っていると、次の瞬間、朝比奈さんの顔が急に歪んだ。 同時に、うっという短い嗚咽が聞こえた。しゃくり上げるその声はまさに俺の腰あたりからしており、なぜかというとそれは朝比奈さんが俺に抱きついているからである。何度となく感じたあの暖かくて柔らかいものがまた俺に押し当てられた。 「ちょ、あ、朝比奈さん?」 抱きついて顔をうずめているので朝比奈さんがどんな表情をしているか解らん。時々する嗚咽のような声から想像はできるが。そのたびに朝比奈さんの肩がひくひくと上下した。ワイシャツに涙の浸みていくのが伝わる。 俺はただただ動揺と困惑の最中を駆け回っていた。何だなんだ? 俺の右手及び左手は無意味に空をかいていた。しかし他にどうしようがあるってんだ。この場で黙って朝比奈さんを抱きしめられるほど俺はクールではない。朝比奈さんはひたすら泣き続けており、俺が先に声を発しなければならんのは承知しているのだが。 俺は、こんなところをハルヒに目撃されたりしたら一巻の終わりだなとか我ながら意味不明のことを思いながら、 「朝比奈さん……どうしたんですか?」 面白くも何ともない言葉を吐き出した。 「どうしたもこうしたもありません……ひくっ。……未来がごちゃごちゃになってて、時間平面がおかしくてTPDDがダメで……うぅ、あたしどうしたら……」 朝比奈さん、申し訳ありませんが意味不明です。とりあえず落ち着くことから始めてみたらどうでしょう。俺ならそんなに強く抱きつかなくても逃げたり消えたりしませんよ。 「ごめんなさい……その通りですね」 朝比奈さんはしゃくり上げながら、 「あたしがしっかりしなきゃいけないのに……。ごめんなさい」 いやあ、全然構わないっすよ。 朝比奈さんに泣きすがられるなんてのは全人類の約半分の夢だからな。しっかりするべきは俺なのだ。無論すべてがそんな下心で構成されているわけではないと釈明しておくが。朝比奈さんじゃなくたって――長門だってハルヒだとしても――泣きすがられればそれ相応の対応はしてやるべきだ。と言っても前者は涙腺があるかどうか怪しく、後者の場合は小型隕石がピンポイントで俺の家に衝突する確率よりもはるかに低いだろうと断言できるので実際そんなことがあるのは朝比奈さんだけなのさ。さて俺は何を言いたいのだろう。 「朝比奈さん、いったい何が起こってるか解ってるんですよね。ハルヒが長門を知らなかったり古泉が学校にいなかったり、って。すみません、俺もよく解ってないんですけど、朝比奈さんは何か知ってるんですか? 知ってたら説明してくれませんか」 「うん。……あたしもよく解らないからうまく説明できる自信はないんだけど」 朝比奈さんは表情をやや曇らせて、 「未来との交信がまったくできなくなってるんです。通信経路が途絶えました。未来からの指示や反応はないし、こちらからコンタクトを取ろうとしても未来に通じないんです。TPDDを使って未来に時間移動しようとしても、許可が下りてないから認証コードが解らないし、だから未来にも帰れないの……。朝に気づきました」 どういうことだろう。なぜ未来と通信できなくなってるんだ。 「伝わる経路がごちゃごちゃになってて信号が届かないって言ったほうがいいかもしれません。ごちゃごちゃになってるっていうのは現在から先の未来が大量に発生してるから。数え切れないほど、それもまったく種類の異なる未来が大量に発生しているんです」 朝比奈さんのその声には、もはや諦めにも近い感がにじみ出ていた。 ううむ、未来との交信ができなくなったというと朝比奈さんにとっては青木ヶ原樹海で道しるべを見失ったようなもんか。なかなか致命的ではあるが、いまいち実感が持てないのは俺が過去人たるゆえんである。 しかし俺が怪しく思ったのはそこではない。未来が大量にできているという点だ。 「どういうことなんですか? これから後の未来がいろいろに分岐してるってことですか?」 「そうです。大量分岐している上に、しかも分岐点がこの時間帯に集中してるんです。どの道を選ぶかでどの未来に着くかも決定されると思うんだけど」 「分岐を間違えると、まったく種類の違う未来に着く可能性もあるわけですか?」 「はい」 恐ろしい話である。 朝比奈さんの言うまったく種類の違う未来というのが何を指しているのか、何となく解った。 おそらく、長門がいる未来と長門がいない未来である。 当然俺は長門のいる未来に行きたいが、その分岐はいつどこでやってくるか予測不能だし、長門のいる未来に行ける確率も解らん。間違いないのは長門のいる未来かいない未来かという分岐がこの時間帯にあるということで、そして俺は何があってもその選択を誤ってはならないということだ。動きに細心の注意を払わねばならんだろう。今ちょっと楽をしたために一生後悔するようなことはあってはならん。 「これからどうすればいいとか解らないんですか? こうすればハッピーエンドになるとか」 「解りません。どの道を通るかで結果も変わってくるということしか」 「言えないんじゃないんですか? あの、禁則事項ってやつで」 「違うんです。禁則事項も強制暗示も全面解除されてます。その代わり未来からの干渉もないんだけど」 まあ、過去の人間にお前の未来は分岐してるぞなんて禁則事項が解除でもされてなければ言えるわけがないか。朝比奈さん(大)くらいの権力を持つ人だって答えを教えてくれたのはすべてが終わってからだったしな。八日後の朝比奈さんと俺がやったのは分岐を選択するためのことだった、と。 「あ、でも」 朝比奈さんは何か希望を見いだしたのかパッと表情を明るくした。 「長門さんなら何か解るかも……。未来が分岐してるってことも、ひょっとしたらこれからどうなるのかも教えてくれるかもしれません。ね、キョンくん?」 さて、それができたらどんなに楽をできるでしょう。たぶん、この状況下で長門を利用できたらそれは裏技でも反則の部類に入るものだと思いますがね。 俺はぽかんとして何も知らなかったらしい朝比奈さんにありのままを語ってやった。無理もない。彼女は未来のことだけで頭が一杯だったんだろうから。 今日になって突然、ハルヒやその他の連中が長門のことを知らないと言いだしやがったこと。長門のクラスに行ってみたが本当におらず、長門の席すらなくなっていたこと。ついでに古泉が学校を休んでいること。 朝比奈さんは俺の話を魂を抜かれたような感じで聞いていたが、途中から顔色をどんどんブルー方向に変えていき、俺が話し終わる頃には青を通り越して白くなりかけていた。 「そんな……未来だけじゃなくてそんなことも起こってたなんて……」 ハルヒがいないと知らされたときの俺を鏡で見ているような感じである。仕方ない。朝比奈さんはもともと突拍子もない事象に対する耐性がいまだにゼロに等しい上に、誰かが消えていたりするようなことを経験するのは初めてなのだ。そんな経験ほど慣れたいものも少ないが、俺のほうが朝比奈さんよりも経験を積んでいるのは事実である。 そんなことを考えているととある提案を思いついたので、ちょっと口にしてみた。 「朝比奈さん、今日学校を早退できますかね? あいや、朝比奈さんは早退しなくてもいいんですけど俺にいくつか心当たりがあるんで、できればそれを確認したいんです」 「心当たり……?」 「ええ。長門のことを知ってたりこの事態に気づいていそうな人間、まあ人間ですね。そんな奴らを少しばかり知ってるんで。もしかしたら助けてくれるかもしれません」 俺は即座に『機関』のメンバー、朝比奈さん(大)、喜緑さんの顔を思い浮かべた。 まずは『機関』である。古泉にもし電話が繋がれば、そこから『機関』にも繋がるはずだ。もちろん古泉に電話が繋がらなかったとしたら話は別だけどな。 次に朝比奈さん(大)と言ったが、未来がこじれているようでは彼女を全面的に頼ることはできん。長門がいない未来の朝比奈さん(大)が現れてその指示通りに動いてしまったら、それは間違いなくバッドエンドである。それでもやっぱり靴箱に手紙か何か入っていてくれれば安心できるわけだが。 喜緑さんに関しては難しい。長門と一緒に消えている可能性もあるし、いたとしても長門ほど頼り切れはしない。穏便派らしいが何を考えているのかいまいち理解できないからな。 と、ここまで来れば十二月十八日にはできなかったこともいくつかできる。一つぐらいヒットがあってもよさそうなものだ。 「朝比奈さんも、この時間帯に一緒にいる未来人の知り合いとかいないんですか?」 「知り合い、未来人のですか? いません、いえ、いるにはいるんですけど、そのぅ、ちょっとそれは……」 朝比奈さんは後込みしている様子だったが、その理由はすぐに解った。ヤツは俺の知り合いでもあるからな。 そいつはきっと男なんでしょう。そんでもって、ふてぶてしいを擬人化したような性格の持ち主で、こともあろうか朝比奈さんの誘拐騒動に一枚噛んでる野郎なんじゃないですか。あいつならお断りします。あんなのは知り合いの中にいれちゃいけません。 「仕方ありませんよ。未来人の知り合いならちゃんとした未来にいてくれればいいんです。朝比奈さんが気に病むようなことじゃありません」 「そう、ですか?」 「そうです。悪いとしたら朝比奈さんの上司――いえ、その話はよしときましょう。大切なのは今ですからね。現状把握が第一です。っても俺が思いつくところを徘徊するだけなんですけど、朝比奈さん、一緒に来ますか?」 「もちろん行きます」 朝比奈さんは重大プロジェクトを自らの双肩に背負わされた新米プロデューサーのような顔になって、 「キョンくんと一緒にいたほうが心強いですから」 * 起立礼の号令が上の階で響きわたった頃、俺と朝比奈さんは弁当を食い終わったら校門前で落ち合いましょうと約束してそれぞれのクラスに戻った。弁当を食い終わったらと指定したのは俺に少し時間が欲しかったからだ。この学校で喜緑さんを確認しておかないといけないし、あと一つ二つ確認すべきことがあったからな。 その次の休み時間、たかってくる谷口と国木田を軽くスルーして俺は廊下へ出た。部室棟へと向かいながら上着ポケットから携帯電話を取り出し、古泉にかけてみる。 呼び出し音が繰り返されていたが、俺がいい加減イライラしてくる頃になってようやく、電源が切っておられるか電波の届かないところにおられるか、とオペレーターの声がした。 「ちっ」 舌打ちしてみるがそんなに悲観すべきことではない。むしろ確信を得られたと喜ぶべきことである。 冬に変わった世界でハルヒに電話してみたときは『この電話番号は現在使われておりません』となっていたが今は違う。単純に古泉が電話に出られない状況にあるだけだ。電波の届かないところってのは何だ、閉鎖空間のことだろうか。 ところで閉鎖空間内にいるときは圏外になるのだろうかと素晴らしくどうでもいいことを考えながら、俺は役立たずの携帯電話をポケットにしまった。黙々と旧館部室棟へと足を運ぶ。 頭の中はすでに白くなりかけている。早くも考えつかれたが、それでもSOS団部室には気がついたら到着しているのだからこれはもう慣れ以外の何者でもないだろうね。 かつての文芸部室、今はSOS団の管理下にある部屋。 ここに以前のように長門がいないのは解っているが俺には希望を捨てることはできん。長門がそこにちょこんと座っているのならばそれほど嬉しいこともないだろうが、そうでなくても手がかりがあるやもしれない。大量に蓄積された本のどれかに栞が挟まっていて、裏に明朝体で文字が記されているかもしれないだろ? 俺はひとたび呼吸を整え、あえて何も考えないようにしてドアノブに手をかけ、扉を開いた――。 目を閉じて扉を開き、二秒くらい経ってから目を開けるなんてもっともらしいことをするつもりはない。したがって俺はすぐさまその光景を凝視した。 「こりゃあ――」 人の姿はなかった。 隅々まで見ても、掃除ロッカーに隠れていたりしない限りこの部室には俺しかいない。長門はいなかった。 その代わり、見慣れた光景がそこにあった。 七夕の竹、朝比奈さんのコスプレセットがかかったハンガーラック、ボードゲーム各種、パソコン。中央の最新機種の隣には「団長」と書かれた三角錐。その他主にハルヒが持ち込んだ雑多な物品が狭い部室を飾っていた。 これだけは間違いない。ここは零細文芸部ではなくSOS団である。そうでなけりゃ、どこの文芸部員がこんなもんを持ち込むのだ。 ならば昨日見たままの光景か……、と一瞬思いそうになったが。 「いや」 喜ぶのはまだ早かった。何の疑いもなく喜ぶと違ったときの落差のせいで余計にショックを受けるものだから俺はまだ喜ばなかった。それに、ここは何となく違った雰囲気がしていた。 違うのだ。この違和感。あるはずのものがないという、この違和感。 俺は再度目を走らせた。この部室に入っているものを答えろといわれたら、俺はカンペなしでも物理の試験以上の得点を取る自信がある。さあ、この違和感の正体は何なんだ。 朝比奈さんのコスプレ、古泉のボードゲーム、ハルヒの団長机。そして長門の……。 部屋の隅に設置されている本棚に歩み寄ると答えが解った。 本が圧倒的に少なかった。 本棚に収まりきらないほどあった長門のハードカバーが半分以下しかない。本棚はガラ空き状態である。おそらく最初から文芸部に備え付けられていたものしかないのだろう。俺だってそのくらいの推理はできる。ここでハードカバーを読むような人間は、ここには存在していなかったらしい。 脱力した。いろいろあるように見えて決定的に大事なものはない。 どこかに腰を降ろそうと見回すと、窓辺のパイプ椅子もないことに気づいた。長門の特等席であったはずの椅子もなくなっていた。あるのは長門以外の団員の所有物だけ。 いや、まだ何か残っているはずだ。昨日、まだ長門がいた部室で俺たちは何をやった。 二週間前倒しの七夕である。 俺はとっさに振り向いて竹を確認した。鶴屋さん印の竹には、いまだに団員分の願い事が吊してある。長門も昨日、このどこかに願い事を吊していたはずだ。 ――が。 「……タチの悪い冗談だ」 俺はさらにうなだれた。 ハルヒ、朝比奈さん、俺、古泉の願い事は脳天気にも昨日吊した場所で夏の風にそよそよと揺られている。当然である。昨日あったんだから、よほど物好きな泥棒が盗まない限り今日もここにあるはずだ。 それなのに、長門の短冊だけが忽然と姿を消していた。 はっきり言って気味が悪い。 物好き泥棒説なら即座に放棄できる。そんなヤツはいない。谷口だってそんなマニアックな趣味はない。 それは、長門がSOS団で活動していなかった証拠だった。 * はたして、情報収集の結果はまったく芳しくないものであった。 休み時間終了間際になってようやく動く気力を得た俺は、とりあえず本棚に収まっていた本を片っ端からめくってみた。時々栞がはさまっている本があったものの栞をひっくり返してもはたいても透かしても文字などは一切見えてこず、いたずらにストレスを蓄積するだけの時間であった。 もちろんパソコンの電源も入れた。どのパソコンもごく普通に起動してくれ、いつぞやの閉鎖空間みたいな長門からの直接メッセージはなし。MIKURUフォルダやネット上を探せばSOS団サイトは存在していたもののディスプレイは画面を淡々と表示するだけで、ようするにあったから何だという話である。 そんなこんなで俺が二年五組の教室に駆け込んだのは教師が入室するのとほぼ同時であり、何も収穫がなかった割に肉体的精神的疲労だけがむやみに溜まったのだった。 午前の部の授業は俺が何かを考えていたり何も考えていなかったりするうちに終了した。 無論考えていたのは授業の内容ではない。高校生としてそれを無論と言っていいものなのかと思うが、俺に付属する修飾語に「一般」というこの上なく貴重な二文字が失われかかっているのだから、社会に出てから役に立つとも思えない微分積分の授業を聞いたかどうかなんてのはノミとダニの区別がつくかつかないかくらいに些末でおよそどうでもいい問題に過ぎないのだ。 時は順当に過ぎ、昼休みが巡ってきた。 「おいキョン、どうしたんだそんな能面みたいなツラしやがってよ。暗いぞ」 谷口と国木田と席を寄せ合ってはいるが、それはまさしく形だけであって俺は一人猛スピードで弁当を胃の中に突っ込んでいた。 「うん。僕も谷口に同感だよ。能面、ってのが暗いって意味で使われてるとしたらね。キョン、どうかしたのかい」 「いや、さっきからどうも頭痛がひどくてな。ついでに喉が痛くて腹も痛くて吐き気もするし目眩もする。これはちっとまずいかもしれん」 「ふうん。症状がそんなにたくさん現れるのは珍しいね。それに、吐き気がするのにそんなに早く弁当を食べられるのもすごい」 国木田が豆を一粒ずつ口に運びながら言った。 「おう、どうも変な症状でな。今までにないパターンの風邪だな」 早退をクラスメイトにほのめかしておくのはそれなりに重要な作業だと思っているが、こんな演技で騙されてくれるとも思ってないしそもそもこの二人にほのめかしたところで効果があるとも思えん。 どうでもいいやとっととフケよう。 そう考え直してタイミングを見計らっていると谷口がバカにしたような表情で、 「ああそうだな。てめーの病気の症状は涼宮にも聞かされたぜ。それはお前、風邪じゃなくて精神病なんじゃねえのか。涼宮もそう言ってやがった」 ハルヒが? 何で? 「ああっと、いつだっけな。たぶん二時限目が終わったあたりの休み時間だと思ったがな。とにかく、お前が教室にいなかったときに涼宮がいきなり俺のところに来てよ、長門有希って誰だって訊いてきやがったんだ。訳わかんねーよな」 「あ、それ僕も同じことを訊かれたよ。長門有希って女子に心当たりはないかって」 「何て答えたんだ。というか、お前らは長門有希を知ってるのか?」 朝比奈さんが正常の記憶を持っていたのだからと多少の期待をしていたものの、谷口と国木田の表情を見る限りでは期待したほうがバカだったと思わざるを得ない。 案の定、我が同窓生二人は俺の顔をまじまじ見ると同時に、 「知らねー」 「知らない」 「そう言ったら涼宮が俺に向かってグチをたれてきたがったんだ。独り言のつもりだったのかもしれんが、俺にはちゃんと聞こえてたんだからグチでいいはずだよな」 俺は心の中で舌打ちを連続させながら谷口のセリフを聞いた。 「すんげー不機嫌な顔して、彼女の自慢話かしらとか言ってやがったぜ。あるいは精神病だとも言ってた。俺は精神病の可能性を取るね。哀れにも涼宮と愉快な仲間たちの一員になっちまったお前が、今まで正気でいられたほうがおかしいくらいだぜ」 それは朝比奈さんがSOS団にいてくださったからという理由に尽きる。そうでなかったら去年の今頃、俺は投身自殺でも図っていたに違いないだろう。 まあ今は違うけどな。そんなのは考えてるヒマもないし、そうするには俺はちょっと深入りしすぎてしまったらしい。だったらすべてのオチがつくその日まで付き合ってやるよと俺が思うようになっているのは開き直りの一種なのかね。 俺は悟りの境地に達した仙人の思考をトレースしながら弁当箱を片手に立ち上がった。 「突然だが谷口と国木田。俺は今日は早退させてもらいたいと思う。どうも調子がよくなくてな。この暑さでアフリカから遠征してきたハマダラ蚊に刺されでもしたのかもしれん。岡部にはどうにか弁解しておいてくれ」 「うん。でもねえキョン、何の理由があるか知らないけど、サボるつもりならもう少ししっかりした嘘をついたほうが僕はいいと思うな」 うるせえ。気づくのは勝手だが口に出すのはやめてくれ。 「それとハルヒにも伝言を頼みたいんだ。すべてお前の誤解だって伝えてくれ。あれは彼女なんかじゃないとな。そのほうが何かと後のためになるような気がする。ついでに、今日の部活は休ませて欲しいと言っといてくれ」 「ああ?」 谷口のフヌケた声をバックに聞きながら俺は鞄をつかむと弁当箱とその他を押し込み、そそくさと教室外に逃亡した。 誤解は恐ろしいものさ。この意味不明な状態に加えてハルヒによる世界改変でも行われたらたまったもんじゃない。俺はあまり肯定したくはないが、俺たちの間にはそういう暗黙の認識らしきものがあるみたいだからな。それが何かってのは訊くなよ。ルール違反だ。 * 最初に向かったのは生徒会室である。ただし朝比奈さんと一緒ではなく、俺一人で。喜緑さんの正体を知らないだろう朝比奈さんと一緒に行っては何か不都合がありそうな気がするのでね。もっとも長門レベルのパワーを持っているのならそのくらいはどうにでもしてくれそうなものだが。 職員室の隣にある生徒会室には何のトラブルもなくすんなり到着した。 思い返してみると、ここに足を踏み入れるのは実はまだ二回目である。古泉の学園内陰謀モドキで文芸部冊子の作成を言い渡されたときが一回目であり、あの時は喜緑さんが生徒会室で議事録を広げていた。 無論、今回もまたいてくれるとは限らん。彼女が長門と一緒にどこかに行っちまってる可能性を否定することはできない。 しかし試すだけの価値はある、と俺は思っている。どうせ俺がアテにできる存在など数えるほどしかないのだ。シラミ潰しに回ったってそんなに時間もかからんし、それなのにわざわざ喜緑さんを避ける必要なんざどこにもないからな。 古泉によると喜緑さんは長門の目付役であり、宇宙意識の中では穏便派でSOS団の味方らしい。長門はいなかったが、彼女はいたり、あるいはいなくても何らかのメッセージを残してくれていることも考えられる。 俺は生徒会室の扉をノックし、入りたまえという声がするのを聞いてからドアノブに手をかけた。 「む、何だキミか」 俺の耳は部屋に入るなり一番に白々しい声を察知し、俺の目は眼鏡をかけた男の姿を捉えた。 いたのは生徒会長だった。 「と、振る舞う必要もねえな。どうも最近、猫を被っていると本当に猫になっちまいそうで困った。普段、この口調で喋ってもいい奴が少ないからな」 会長はダテ眼鏡をはずすと足をテーブルの上に投げ出した。俺は不良会長を無視して喜緑さんの姿を探すが、見あたらない。ただ、議事録だけが脇のテーブルに無造作に置かれていた。 「お前、何の用で来たんだ? 用もないのにこんなところには来ないだろう。またあの騒がしい女のパシリか?」 「あーいえ、用があるにはあるんですが、その前に一つお訊きしてもいいですかね」 会長は無言で促した。 俺は喜緑さんのつけていたはずの生徒会議事録を手にとってパラパラとめくりながら、 「この生徒会の書記の人の名前って解りますか?」 訊くと、会長は露骨に面倒くさそうな顔をしていたが、一応といった感じで俺の訊いたことのない名前を言った。喜緑さんではなかった。 「そいつがどうかしたのか? 何かお前の団で企んでるつもりならこっちにも詳細説明をくれよ。そうでなきゃ三文芝居にもなりゃしねえ。敵に回すのはお前んとこの団長とやらだけで充分だ。部室の永久管理を認めてくれとか、そういうのか?」 「別に何も企んでませんよ。文芸部室なら間借りで充分です」 しかし会長はまだ言い足りないといったふうに指でテーブルをコツコツ叩くと、 「あんな部室はな、本当なら面倒だからとっとと引き渡してやりたいくらいなんだ。そもそも文芸部員なんか最初っからいなかったんだから被害者もいねえじゃねえか。それを何で俺が引っかき回すようなことをしなけりゃならねえんだ」 被害者なら長門こそが最初にして最大の被害者だが、この学校には長門がいなかったことになっているのだ。どうやらハルヒは一年の春に無人の文芸部室を乗っ取ったことになっているらしい。 「それなら古泉によく伝えておきますよ。で、申し訳ないんですがもう一個質問をさせてもらえますかね」 「何だ」 「喜緑江美里という女子を知ってますか? たぶん三年にいると思うんですが」 「知らん」 会長はあっさりと答えた。 ダメだったか。 俺は再び深い谷底に落ちていくような感覚に襲われた。 長門と一緒に喜緑さんも消えている。そんな確信を持った。 会長が嘘をついているとか、単に同学年にいるけど喜緑さんを知らないだけとかいう可能性はかなり低い。だったらなぜ喜緑さんが生徒会にいないのか説明できないからな。全校生徒に長門や喜緑さんを知っているかと調査したところでおそらく誰もが首を横に振ることだろう。 俺は不審者を見るような会長の視線を受けながら焦燥と共に議事録のページを繰る。ここにヒントメッセージか何かがなければ、俺や朝比奈さんだけでできることなんざ相当限られてくる。 議事録を埋めているのはいずれも乱雑な筆致の文字ばかりだった。まれに読めないものもある。喜緑さんがどんな字を書くのかは知らないが、さすがに彼女のものとは思えないような雑字だった。 「これ書いたの、全部書記の人ですよね」 「そうだな。そりゃいいが、お前ここに何しに来たのかとっとと答えやがれ。場合によっては叩き出すぞ」 別に俺は構わん。こんなタバコの煙が充満したような部屋にいたがために将来ガンにかかって死んだなんてことにはなりたくないのでね。せっかくだから議事録と一緒に叩き出してくれ。 「議事録に目的があるのか? 変な野郎だ。言っとくけどよ、中身を見てもてんで真面目なことしか書いてないと思うぜ。そんなもんいくらでもコピーを撮ってやるから早いとこ出てけ。こちとら気分よくフカせねえだろ」 会長はタバコを片手に俺の肩越しに議事録をのぞき込んだ。挑発するようにタバコの煙を吹きかけてくる。 しかし本当に何にも面白くないことしか書かれていない議事録だ。議題なんて大仰に書いてあるが、本当に議論したかどうかも怪しいね。 そうこうしているうちに議事録の残りページは減っていった。 「さあ、もういいだろう。昼休み中こんなことして過ごすつもりか?」 「いえ、こっちにも約束があるので昼休み中ずっとというわけにはいきませんよ。なんなら、本当にコピーでも撮らせてもらいます」 会長はふんと鼻を鳴らして馬鹿らしいと言い、椅子に腰を降ろして二本目のタバコに火をつけた。 「どうでもいいが、あのバカ女だけは呼び寄せるなよ。タバコなんかやってるところを見られでもしたら古泉の取りはからいも一切なくなっちまう」 ならやめればいいのだ。タバコは身体に毒ですよってよく言うじゃな――。 俺は息をのんだ。議事録を持っている手ががくがくと震えだし、眼球が釘付けになった。 筆跡が急にきれいになっているページ、いや、一文を見つけたのだ。議事録の最後のページ。そこだけがしっかりと読める文字だった。 「どうした?」 俺は驚愕を隠せていなかったのだろう、会長が怪訝そうに訊いてくるが今は無視だ。脳の全勢力を文字の解読に傾ける。 きれいな文字――喜緑さんであろう筆跡のそのページには、たった一文こう書かれていた。 『password・すべての始まりを記せ』 一字一字丁寧に書かれていた。愛の告白でもするかのような、優しくて柔らかい字で。 パスワード。 間違いない。イタズラ書きでも何でもなく、これは俺にあてたメッセージだ。おそらく喜緑さんが書き留めてくれたのだろう。そのはずだ。こんなのは議事録に記すような内容ではない。 パスワード、すべての始まりを記せ。 しかし、波が退いていくように俺の頭から興奮の感情が収まっていくと、そこにはさながら波が運んできたクラゲの死体のように、ただもやもやとした疑念が残った。 長門だけの特徴かと思っていたら、何だろう、宇宙人にはメッセージを短くする趣味でもあるのだろうか。はっきり言ってこれだけでは解らん。 何だってんだ。 パスワード。すべての始まり。記せ。 パスワードってのは何だ。どこのロックを解除するためのパスワードなんだ。 それにすべての始まりとは何なんだ。何の始まりなんだ。 記せ? どこに記せばいい。この議事録か、それともどこか別の場所か。 それに期限はないのか? 冬のときのように二日後までにしなければならないとかいう制約が。 全然ダメだ。文の量の少なさを呪うわけではないが、ロックをはずすための情報が不足しているのは事実である。これでは何一つとして解らない。 「会長さん、これちょっとお借りしますよ」 とりあえず、俺はうわずった声で会長に告げて議事録を閉じた。マジでコピーを撮っておく必要がある。 「ああ? 何だ、本当に面白いモンでも見つけたのか?」 ええ、見つけてしまいましたよ。あいにくあなたには何の面白みもないでしょうが。 すっかりシラけきったような顔をして俺を見る会長の視線を背中に感じながら、俺は議事録を手に生徒会室を出た。 どこのパスワードなのかはさっぱり解らんし、これといって見当がついているわけでもない。 しかしこれは大きな一歩に違いないのだ。 これがどんな意味を持っているにしろ、これを辿っていけば何か確かな手応えに突き当たるはずである。冬のときは鍵で、今回はパスワードか。 いるんだよな長門、このメッセージの先には、宇宙人の力を持つお前が。
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ハルヒ「本当、退屈」 キョン「ああ、そうだな」 ハルヒ「…………………」 キョン「…………………」
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第 一 章 あれから四年。 俺は無事に大学を卒業し、既に就職していた。いわゆる社会人というやつだ。 ハルヒによる補習授業のおかげで、俺はなんとか大学に進学する学力を身につけ、苦労の末に無事卒業することが出来たのだ。 ハルヒは俺とは別の大学に入学し、首席に近い成績で卒業。さらに世界を盛り上げるための活動をするとやらで、大学院に進んでいる。 世界を盛り上げるなんていう発言は以前と変わらないハルヒらしさだ。ハルヒは自分が不幸を感じているときは周りの人間を否応なく道連れにし、自分が幸福を感じているときはそれを無条件で周囲に拡散させていく、そういう奴だ。 そして、俺はそういうハルヒにますます惹かれていたのだった。 長門と朝比奈さんとは、高校卒業以来会っていない。 卒業式の後、部室で盛大かつ壮絶たるSOS団解散式兼お別れパーティーが開かれ、朝比奈さん、鶴屋さんを含む六人でバカ騒ぎをした。 その後いつものルートで最後となる集団下校をし、長門とは駅前で別れた。 肌寒さの残る、うす曇りの夕暮れ。 「あなたがいてよかった」 別れ際、長門が俺にだけ聞こえる声で言った。 いつもの無表情には違いなかったが、長門が感情を押し殺している風に感じられた。 長門も密かにSOS団との別れを惜しんでいるのだろう。 長門、情報統合思念体に戻っても幸せに暮らしてくれよ。お前は情報統合思念体の中でも先駆者だ。なにしろお前はハルヒに散々振り回されたおかげで、元々の機能にはない感情ってものを獲得したんだからな。仲間に自慢出来るぞ。絶対にな。 「さようなら」 「じゃあな、長門。元気でな」 別れは辛いが、これは仕方がない。結局のところ長門を含む情報統合思念体は切望していた自律進化のきっかけを手に入れ、朝比奈さんたち未来人は約束された未来を手に入れ、古泉の機関は神人に悩まされることのない安息な日々を手にいれたのだ。 そして長門は情報統合思念体に戻り、朝比奈さんは未来に戻り、古泉は本来の生活に戻る。 つまりは全てハッピーエンドだ。これで別れを惜しんでいてはバチが当たる。 長門の後姿を見送りながら俺はそんなことを考えていた。 卒業式からしばらく経った後、朝比奈さんから手紙が来た。 『会ってお別れするのは辛いので、お手紙を書くことにしました。 キョン君には本当にお世話になりました。今までありがとうございました。 もっと色々書きたいことがありましたが、書くともっと辛くなりそうなので。 これからもお元気で。涼宮さんとお幸せに。 朝比奈みくる』 いつものファンシーなものではなく、やけに体裁の整った封筒と便箋が、本当の別れを実感させた。 お世話になりましたなんてとんでもない。俺こそ朝比奈さんには本当にお世話になりました。 高校生活の日々、朝比奈さんは俺にどれだけ心の安らぎを与えてくださったことか。 でもいずれまた再会する日が来ますよ。未来の朝比奈さんはこの後何度か過去の俺に会うことになるんです。既定事項ですから。 俺がこれから先、朝比奈さんに会うことが出来るのかどうかは解らないが。 以前から覚悟していたものの、かぐや姫の物語がいざ現実になると、やはり寂しいものだった。 朝比奈さんに直接お別れの言葉が言えなかったのを口惜しく思う。 朝比奈さん、どうか未来の世界でお幸せに。未来人組織での立場向上だけでなく、この世界では出来なかった恋愛もがんばってください。 あなたなら自らがんばらずとも、男共が黙っていないでしょうけどね。未来でもきっと。 ちなみに、古泉とは高校卒業後も友人づきあいがある。 俺たち二人は、常人のそれをはるかに上回る過酷な高校生活を共に乗り切った、いわば戦友のようなものだ。 以前古泉が言った、対等な友人同士として昔話を笑って話せる日は今ここに実現している。 古泉の言動がそれまでと変わったことについて、ハルヒも俺も最初は驚いたが、正直なところすぐに慣れた。 二人とも、何の含みもなく屈託なく笑う古泉に以前よりはるかに好感を抱いていた。 機関は古泉の卒業と同時に解散されていた。もはや機関がすべきことは何も残されていなかったからな。 俺が就職して三ヶ月と少しが経った頃、七夕の日に俺とハルヒは結婚した。 「どうせこのままずっと一緒にいるんだから、もう結婚しちゃっていいじゃない。こういうこ とは早いほうがいいのよ」 ハルヒがそう提案し、俺もそれに同意したからだ。プロポーズくらい俺にやらせて欲しかったな。まあ似たようなセリフはあの閉鎖空間の中で既に言ってあったんだが。 就職して間もなかった俺は、そのため貯金などほとんどなく、ハルヒも学費を出してもらっている身分で大層な披露宴など気が引けるという理由で――そういう控え目な考え方をするハルヒは高校生の頃からは到底考えられないのだが――、披露宴はお互いの親戚だけを集めた食事会ということにした。 無論、古泉と鶴屋さんを交えた四人のパーティーは盛大にやったけどな。 長門と朝比奈さんには当然ながらこちらから連絡をつけることは出来なかった。二人とも俺たちが結婚することを知らなかったのか、あるいは知っていたとしても参加出来ない事情があったのだろう。 この頃にもなると、ハルヒはすっかり一般的な性格と生活を獲得していた。 エキセントリックな振る舞いは多少残っていたが、それはあくまで一般的という範疇に収まるものだった。 古泉が言ったとおり、ハルヒは二度目の情報爆発の際に、以前の能力を完全に失ったようだった。 情報爆発以降も時々不機嫌になることはあったが、古泉が断言したとおり閉鎖空間を生み出すことはなくなったようだ。古泉の能力が消えても世界が破滅していないのがなによりの証拠だ。 こうして平凡でありながらも、幸せな日々は続いた。 俺の社会人生活は、慣れない仕事に苦戦しながらも、まずまずの滑り出しだったと言える。 ハルヒの学生生活は言うまでもなく極めて順調だった。 このまま平穏無事に暮らせたなら、俺はどれだけ心安らかだっただろう。 だが、何者かがそれを許してはくれなかった。 ハルヒは結婚の二ヶ月後、突然学校で倒れたのだ。 仕事場に連絡を貰った俺はすぐさま病院に直行した。入院先は、例の機関御用達の総合病院。 古泉が昔のよしみで手配してくれた。 「昼ご飯食べてるときになんだか急に意識が遠のいちゃって。全くみっともない話だわ」 ハルヒがそう言うのを聞いて、俺は安心した。 「全くだ。お前らしくもないな。元気だけが取り柄、ってわけでもないが、お前が病気で倒れるなんて見たことねーからな」 ベッドの上のハルヒは、見るからにいつものハルヒそのままだった。軽い貧血か何かで倒れたんだろう、という程度にしか考えなかった。 症状は大したことはないが検査のため今日は様子を見て入院させる、と言う医師の言葉にも、不自然さは感じるにせよ、俺はちっとも心配などしていなかった。 だからハルヒが翌日再び病室で意識を失ったと聞いたとき、ようやく俺はこれがただ事ではないということに気づかされた。 「昨日から今朝にかけて一通りの検査をしてみましたが、結論から申し上げますと全く原因が解りません。あらゆる検査の結果は全て、奥様は完全な健康体であることを示しています」 何しろ元機関お抱えの病院だ。最高の医師たちが揃っているに違いない。そして彼らが原因不明と言うならば、それは誰が見ても間違いなく原因不明なのだ。 身体上の数字は至って正常であり、ハルヒは普段と何一つ変わらない様子だった。一旦意識を失うとしばらく目を覚まさなくなる、ということを除けば。 俺は会社に事情を説明し、長期休暇の許可を得てずっとハルヒに付き添った。 以前俺が階段から転げ落ち、意識を失ったときと同じ個室。あのときハルヒは今の俺と同じような気持ちで俺のそばにいてくれたんだろうな。 医師達がサジを投げるまでにはそう長い時間は必要とされなかった。 ハルヒは意識を回復させては、眠りにつくということを数日間繰り返した。 そして起きている時間と寝ている時間の割合は次第に逆転し、ついにはほとんどの時間ハルヒは意識を失い続け、起きている間ですら意識が朦朧とした状態になった。 焦燥しきった俺は藁にもすがる思いで、ハルヒの意識があるわずかな時間に、自分がジョン・スミスであることを告白した。 こうすればハルヒの中で何かが起こり、突然元気になってくれやしないか、と思ったのだ。 俺はジョン・スミスのことをあの閉鎖空間の中でもそれ以降も、一度も口にしたことはなかった。 もちろん、ハルヒにSOS団メンバーの正体を明かすことを避けたかったからであるが、理由はそれだけではない。 俺を愛してくれるハルヒには、ジョン・スミスの存在は必要ないと思っていた。それが俺とハルヒの関係に何らかの好ましくない変化を与えるかもしれないとも考えていた。 だが俺は意を決し、その事実をハルヒに打ち明けた。 そしてその決意もむなしく、結論から言えばそれは何の効果もなかった。 「そう……あんたがあのジョンだったなんてね。高校一年のとき、あなたと以前どこかで会ったことがあると感じたのは間違いじゃなかったのね。……だとしたら、あのとき背負ってたのはみくるちゃんなの?」 あいかわらず勘がいいな、お前は。 「そうなんだ。そう思えばあたしの人生って結構不思議なものだったのね……」 お前は知らないだろうけどな、お前の人生は普通とは比べ物にならないくらい不思議なことで満ち溢れていたんだぞ。 「色々あったわね……今まで幸せだったわ。あんたのおかげよ」 頼むから、そんな今生の別れのようなことを言ってくれるな、ハルヒ。 ハルヒはそう言ってしばらく後、また眠りについた。俺も数日前からの徹夜の付き添いの疲れからか、いつの間にか眠りについていた。 ハルヒはその一時間後、そのまま目を覚ますこともなく、俺に気づかれることもなく、唐突に、ひっそりとこの世を去ってしまった。 自分自身がわけの解らん奴なら、死ぬときもわけの解らん死に方をするのか、ハルヒよ。 俺はハルヒが死んだという事実にわき目もふらずに、目から涙を溢れさせていた。 お前は高校一年のときの七夕を忘れちまったのか? あのときお前は世界が自分を中心に回るように、地球が逆回転するようにって短冊に書いただろうが。ベガとアルタイルに願いが届くまであと何年かかると思ってんだ。 俺はこの先、お前を取り巻く状況がどう変わるのかを楽しみにしてたんだぞ。お前がどれだけ世界を盛り上げ、そしてそれに俺がどう巻き込まれるかを。 そしてお前はこう言うんだ。 「ほらねキョン、あたしの言ったとおりでしょ!」 俺がいつも見ていた、そしてこれから先もずっと見られると思っていた、あの赤道直下の笑顔で。 ――一体、どこからこんなに涙が溢れてくるんだ。 あの閉鎖空間でのキスのときとは違った意味で、世界は変わってしまった。いや世界は終わってしまったのだ。 …なあハルヒ、俺はもうお前に会えないのか? …お前はもう戻ってこないのか? それから俺は数日間を泣き通した。 ハルヒの葬儀には、俺とハルヒの親族、俺の仕事の同僚たち、ハルヒの学校の関係者、学生時代の友人、そして古泉と鶴屋さんが参列してくれた。長門と朝比奈さんは、やはり姿を見せなかった。 参列してくれた皆が、心底俺に同情してくれた。 だが、俺はこの頃には既に涙も枯れ果てていて、ただ呆然とまるで他人事のような心境で葬儀を進めていた。これが現実だとは、俺には到底信じられなかったのだ。 ほんの数日前まで、そこに確かにあった俺とハルヒの日常。 やけに目覚めのいいハルヒがいつも先に起き、朝食を作ってくれた。 あいかわらず目覚めの悪い俺を楽しそうに叩き起こしてくれた。 朝食を食べながら一日の予定を確認しあった。 一緒に住まいを出て、駅で別れ、駅で待ち合わせた。 一緒に食材を買い、一緒に夕食を作った。 それらを囲みつつ一日の出来事と昔話とこれからの話をした。 そこにはいつも、俺のハルヒの最高の笑顔があった。 そしてそれは突然俺の前から消え失せてしまった。 そんなことを一体誰が信じられるものか。 ハルヒの葬儀からしばらくの間、結婚とともに越してきた住まいで、俺は抜け殻のような状態で日々を過ごした。 何もする気が起こらなかった。食事すらほとんどとらず、ただ起きて、ただ寝るだけのような生活。一体何日間そうしていただろうか。 そしてある日、俺は突然それを認識した。 ハルヒが死んだ瞬間に感じた、世界が変わってしまったという感覚が、またしても俺の感情の変化によるものだけではなかったことに。 ハルヒが死んでからというもの、俺の頭の中に奇妙な違和感が存在していることには気づいていた。 そして、それはハルヒの突然の死による悲しみがそうさせているのだろうと、俺は当然のように思っていた。 しかしそれは違っていた。それだけではなかった。 俺の頭の中に、突如としてSTC理論とTPDDが備わっていたのだ。 STC理論。朝比奈さん(大)が以前俺にその存在を教えてくれた時間平面移動の理論。 TPDD。時間移動をするための、頭の中に無形で存在する装置。 理屈じゃない。それが俺の頭の中にあることを、俺は実際に感じることが出来た。 なぜ俺に突然そんなことが起こったのか。理由はすぐに解った。 ハルヒがそれを望んだからだ。 ハルヒは、わずかに残された最後の力で、俺にこれらの能力を与えてくれていたのだ。 長門によって世界が改変されたとき、朝比奈さんは言った。STC理論を指して「あなたにもそのうち解ります」と。 朝比奈さん……つまりはこういうことだったんですか? ハルヒが俺に託してくれたこの能力。すぐに使い道は決まった。 だってそうだろ? 他の選択肢なんてあるもんか。 今まで散々俺を振り回しておいて、それで満足したらさようならか? それを他の誰が許したとしても、俺は絶対に許さない。 俺は確信を持って言える。お前のような、あまりにも規格外な人間を愛してしまった俺にとって、お前を忘れることなんて絶対に無理だ。出来るはずがない。 お前だって、俺がそう考えると思ったから俺にこの能力を託したんじゃないのか? 俺は静かに、そして強く誓った。 ハルヒが死ぬという事実を何としてでも変えてやる。この俺の手で! 俺はすぐに計画を練りはじめた。 これから俺はTPDDを利用し過去に時間遡行して、ハルヒの死の原因を究明し、それを防ぐために歴史を改変することになる。 時間は一刻も無駄にはしたくない。俺は早速試しにとばかりに、時間を一分ほど遡行しようと考えた。そのときそれは起こった。 目の前に突然もう一人の俺が現れたのだ。 つまり一分後の時間平面から時間を一分間逆行した俺だ。実際に試すまでもなく、TPDDの機能は実証されたのだ。 一分後の俺は、俺に軽く挨拶し、一分後の世界に戻ると言って目の前から消えた。 そして俺は一分前の世界への逆行を試みた。体全体がグラっと揺れる感覚の後、それは実にあっけなく成功した。俺は一分前の俺に軽く手を上げ、元の時間平面に戻った。 以前感じためまいや吐き気は全くなかった。これは時間移動距離の差によるものなのか。あるいはあのときの不快感は、時間移動の方法を隠すために俺に施された処置によるもので、つまり目隠しのような状態で車に乗せられれば誰だって酔いやすい、ということなのだろうか。 単純に、車を運転する人より助手席に座る人のほうが酔いやすい、ということなのかもしれない。 今この時間平面上で、STC理論を知りTPDDを得た人類は間違いなく俺だけだ。俺の知る限りでは、今の時代にはSTC理論の基礎すら出来ていない。それを作るであろうあの眼鏡の少年はまだ高校生くらいだろうからな。 つまり、おそらくは人類史上で最初となる時間遡行が今まさにおこなわれたのである。 やれやれ、まさか俺が輝ける人類初のタイムトラベラーになるとはな。 同時に、既定事項を満たすことの重要性に思い至った。朝比奈さんが必要以上に既定事項にこだわっていた理由を、身を持って理解した。俺がたかだか一分間の時間遡行を怠ってしまうだけで、その瞬間に歴史は変わってしまうのだ。 俺は家を出て人気のない路地に移動し、今度は過去一年間の時間遡行を試みた。 実に簡単だ。そう念じるだけでそれはおそらく可能だろう。 体が揺れる感覚がきた。移動は完了した。腕時計を見る。そしてそれが何の意味もないことに気づいた。時間移動をしたからといって時計の針が正しい時間に合わせて勝手に動いてくれるはずもない。それ以前の問題として、俺の腕時計は三本の針のみで構成されたシンプルなアナログ時計であり年月は表示されない。 俺は近くのコンビニエンスストアに足を運び、新聞の日付を見ることにした。過去の七夕でも使った手だ。 そして、俺は意外な結果を知ることになった。新聞の上部に記されていた日付は俺の予想とは違っていた。およそ一ヶ月までしか時間を遡ることが出来ていなかったのだ。 コンビニエンスストア近くの路地に入り何度か試してみた。過去一年間を三回、半年を二回、三ヶ月間を一回、未来については少し気が引けたが、一回だけ一年間の移動を試みた。 結果は全て同じだった。過去であろうが未来であろうが、俺が移動可能なのは前後一ヶ月間だけだった。 ならば、一ヶ月前の過去からさらに一ヶ月前に遡ればどうだ? それなら二ヶ月前に行けるはずだ。 だが結果は同じだった。やはり元の時間から一ヶ月以上移動することは出来なかった。 これはどういうことだ? 俺は住まいに戻り、その理由を考えてみた。 朝比奈さんは、少なくとも一ヶ月先から来た未来人ではなかった。実際に俺と朝比奈さんは、三年間の時間遡行をしたことがある。 では俺が一ヶ月以上の時間移動が出来ないのはなぜだ? それが俺の能力の限界なのか? たかが一ヶ月間の時間遡行で、ハルヒを助けることが出来るのか? あるいはそれは可能かもしれないが、その確証は一体どこにあるというのだ。 いくら考えても、有力な解答が導き出されるはずもなかった。 そうやってしばらく頭を抱えていた俺の眼前に、突如として信じられない光景が映し出された。 何の予兆もなく、光や音を発することもなく、その人物は突然俺の目の前に姿を現した。 朝比奈さん(大)だった。 「随分お久しぶりになりますね、キョン君」 俺は呆然として、しばらくそのアンバランスにしてかつ完璧なプロポーションを眺めていた。 我に返った俺はとりあえず疑問を投げかけた。 「っていうか、いきなり俺の目の前に現れたりなんかして、大丈夫なんですか?」 朝比奈さんは静かに微笑み、 「問題ありません。もうあなたの頭の中にはSTC理論もTPDDもあるんだもの」 なるほど、まさしくその通りだった。いずれ朝比奈さんにそれらのテクニカルタームについて解説して欲しいと思っていたが、まさかそれが突然俺の頭の中にひょっこり現れるなんて思ってもみなかったからな。 最初に俺が聞かなければならないのは、次の一点だった。 「朝比奈さんにこんなことを訊く失礼だというのは承知の上ですが。朝比奈さん、あなたは俺の敵ですか? 味方ですか?」 俺がこれからやろうとしていることは、明らかに歴史の改変だ。それがもし既定事項でないのだとすれば、未来人にとって俺は、きっと好ましくない存在になるだろう。 だが、そんなことは構いやしない。今の俺にはTPDDがある。未来を知らないということ 以外は、未来人とは対等の条件だ。 だが、朝比奈さんは俺に、変わらない笑顔でこう言った。 「私はキョン君を助けるためにやってきました」 もともと俺は朝比奈さん(大)に対しては少しばかり懐疑的な立場だ。だが今の言葉に嘘は全く感じられなかった。そもそも何かを隠すことはあっても平気で嘘を言えるような人ではないんだ、この人は。 「解りました。朝比奈さん、俺はあなたを信じます」 となれば、次の質問はこれだ。 「教えてください。ハルヒが死ぬことは既定事項なんですか?」 「それは…説明が難しいんですが」 と、前置きをして朝比奈さんは続けた。 「涼宮さんが死ぬことは既定事項ではありません。ですが今こうやって私たちが話していることもまた既定事項であると言えます」 正直なところ、何を言っているのか全然解りません、朝比奈さん。 「少し込み入った話になるんですが。未来からの通常の方法による観測では、涼宮さんが死ぬという歴史は存在しません。私たちの知る既定事項は、あなたと涼宮さんは生涯を共に暮らし、二人とも天寿をまっとうします」 その話は、今の俺にとって何よりも心強いです。でも未来のことを話すのは禁則事項ではないのですか? 「あなたはその気になればいつでも自分で未来を見に行くことが出来ます。あなたにはもはや禁則事項と呼べるものはほとんど残されていません。既定事項を満たすためにお話出来ないことはありますが」 なるほど、確かにそうだ。 「ですが、今のあなたはその未来に辿り着くことは出来ません。時間移動距離の問題ではありません。この時空から未来に行ったとしても、そこには涼宮さんがいない未来が存在するだけです。そして涼宮さんが死ぬという過去を観測出来ない未来人は、本来なら今のあなたに会うことは絶対に不可能なことなんです」 「つまり、それは一体どういうことですか?」 「簡単に言えば、今この時空は未来から閉ざされています。例えば歴史が上書きされた場合、未来からはその結果しか観測出来ません。そして涼宮さんが死ぬことは既定事項ではない。つまりこの時空は上書きされる予定であり、本来であれば私はこの時空には決してたどり着けないんです」 俺の頭上で回転するクエスチョンマークが朝比奈さんには見えたようで、 「思い出して、キョン君。長門さんが世界を改変したときのことを。あのとき、改変された世界に私が赴いて三年前の七夕……いいえ、長門さんさえいればどこでもよかったのだけれど、そこまであなたを連れて時間遡行すれば、あなたは苦労せずに歴史を再改変させることが出来たはずです。長門さんの脱出プログラムを必要とせずに。でもそれはされなかった。されなかったのではなく出来なかったの。長門さんに改変された世界は、最終的には長門さんの再改変によって上書きされました。つまり未来からでは、上書きされる以前の改変世界には辿り着くことが出来ないの」 「なんとなくですがそれは解りました。では朝比奈さんはどうやってここに来ることが出来たんですか」 「今私がこうしてこの時空に存在しているのは、預言者、言葉を預かる者と書くほうね、その人の力によるものなんです」 預言者……ですか? 「彼は未来人組織の中でも謎中の謎とされる人なの。いつの時代のどこの人であるかということも解りません。彼は私たち一般的な未来人が知る、歴史の上書きされた結果だけではなく、歴史が変わる過程をも知り得る、特異な能力を持つ存在だとされています」 俺は終わらない夏休みと長門のことを思い出した。 「預言者の話をする前に、あなたについて話す必要があります。少し長い話になりますが。今までのあなたの行動。これは全て既定事項だったんです。例えば、あなたが三年前の七夕に涼宮さんを手伝ったこと、あるいはSOS団結成のきっかけを与えたこと」 それはどちらかと言えば、俺が選んだ行動ではなく、朝比奈さんに与えられた行動だと思うんですが。 「既定事項というものは、そう簡単に覆るものではありません。未来人が過去に介入することは実はそんなに稀なことではないんです。だとしたら、あなたは歴史や未来をすごくあやふやなものだと感じるかもしれません。でも実際はそうではないんです。なぜなら未来人の介入も 含めて全てあらかじめ定められたこと、つまり既定事項なんです。例えば、幼かった頃、私と キョン君が少年を交通事故から守ったときのことを思い出してください。あなたはあれをあたかも他の未来人の干渉から歴史を守るために取った行動だと思ったかもしれません。でもそれは違うんです。他の未来人組織が彼を襲ったのも含めて既定事項なんです」 にわかには信じがたい話だが、それならいつぞやの敵対未来人組織が既定事項をなぞるだけの行動にクサっていたのには納得がいく。 「私たち未来人は、涼宮さんが作った時間断層を発見して以来、その時代周辺の歴史を丹念に調査しました。そして驚くべき事実を発見したの。それは未来に対して重大な意味を持つ事件がこの時代のこの地域に集中していたこと、それらの事件には私たちの時代の未来人が数多く介入していたということ、そして……それらの事件の全ての中心には、キョン君、あなたがいたということ」 「よく解らないんですが……、それは朝比奈さんたちがそう仕向けたんじゃないんですか?」 「いいえ。私たちは過去の事実に従って行動するだけです。私たちはなぜあなたが未来に関する全ての重要な分岐点に関わっていたのかを徹底的に調べました。その生い立ちから、生涯までを。これは大変な作業だったわ。だって、あなたの生涯とその周辺を調べるためには、あな たが生きたあらゆる時間平面に対して、常に誰かが監視する必要があったから。そのひとりがまだ幼かった頃の私。当時の私は涼宮さんの監視係であったと同時に、あなたの調査係でもあったの。これは後から知ったことだけどね」 なるほど、それは大変そうだ。仮に俺の寿命が七十年だとすれば、それを詳細に知るには七十年分とまではいかなくとも、相当の労力を費やさなくてはならないだろう。 「でも、結局はその調査は実を結ばなかった。未来人のあらゆる観測・調査によっても、あなたがなぜそのような立場になったのかずっと原因不明のままだったんです。観測上では、あなたは一方的に涼宮さんの起こす騒動に巻き込まれ、紆余曲折の末に涼宮さんと結婚し、そしてその生涯を平穏に送った、普通の人間です」 じゃあ、今ハルヒが死んで、こうやって朝比奈さんと話している俺は何なんだ? 「私が今こうしてキョン君と話していることは、他の未来人の誰も知らないことです。私と預 言者だけが知る事実。私が預言者から直接、ここに来てキョン君に助言を与えるようにと指令を受け、そしてこの時空間の座標を与えられたの。だから私は今ここに来ることが出来ているんです」 この朝比奈さんも、正体の解らない何者かの指示で操られているのか。俺は今まで朝比奈さん(小)に対する朝比奈さん(大)の態度に釈然としないものを感じていたが、結局は朝比奈さん(大)のほうも同じような立場だったんだな。今度から怒りの矛先はその預言者とやらに 向けることにしよう。 「預言者の話は、私には信じられないことばかりでした。だってそうでしょう? キョン君が 涼宮さんの死と引き換えに、人類初のタイムトラベラーになるなんてこと」 その意見には俺も全面的に同意します。 「そして、さらに預言者は驚くべきことを言っていました。あなたは誰の制約も受けずに歴史を改変する権利を得た唯一の人物なの。言い換えればあなたは物語の主人公のようなもの。物語の世界が主人公の望まないものになることはあまりないでしょう? 例えば、涼宮さんはあなたの知るとおり何度か世界を作り変えようとしました。でもあなたはそれを望まなかった。 だからこそ、世界は改変されることなく存続し続けていると言えます。つまり、あなたはあなたが望む歴史を自ら切り拓くことが出来る存在なんです」 俺はそんな大それた存在のつもりは全くないんですが。俺が何を望むかといえば、今までと変わりない無難な生活くらいです。 もっとも、多少の刺激は欲しいとは思っていたし、実際にそういうスパイスは高校生活中に無闇やたらに散りばめられていたんだが。 「最後に、預言者からあなたに対する伝言です。私たち未来人は今まであなたに様々なヒントを与えました。そのことをよく思い出して。これから涼宮さんを復活させるまでの過程において、キョン君は長らく私たちの援助を受けられない状態が続くことになります。なぜそうなのかは、私には詳しくは解りません。預言者が教えてくれなかったから」 つくづく、その預言者とやらはもったいぶった奴なんだな。おそらくはそれを教えないこと も含めて既定事項なんだろうが。 「だからキョン君、あなたはあなたが思うとおりに、あなたが信じる行動をとってください。 その結果、最終的には私たち未来人が知る歴史に至ると私は信じています。でももしかしたら、そうならないかもしれません。これは私たち未来人にはどうすることも出来ません。あなたが望む未来を、あなた自身がこれから決めなければなりません」 ひと通り話し終えた朝比奈さんが、身につけていた腕時計を取り外した。以前朝比奈さん(小)が使っていたのを見たことがある、あの電波時計だった。 「これは私からのプレゼント。これからのあなたにはきっと役に立つと思うから」 朝比奈さんは笑顔を取り戻し、それを俺に手渡した。 「それでは私は戻ります。全てが終わったら、是非私のいる未来に遊びに来てください」 それは俺にとっても興味のある提案です。楽しみにしてますよ朝比奈さん。それに全ての黒幕である預言者とやらに、俺も少なからず言ってやりたいことがありますし。 ああ、待てよ。 「朝比奈さん、最後に教えてください。俺は時間移動を一ヶ月間しか出来ないんですが、これはなぜですか?」 「ごめんなさい。禁則事項です」 朝比奈さんは以前と変わらない、イタズラっぽい笑顔を俺に見せた。 「でも答えはすぐに見つかると思います。それがあなたにとっての既定事項だから」 ううむ、そういうものなのか。 「がんばってねキョン君。あなたが私たち人類初のタイムトラベラーなんだから!」 ありがとうございます。がんばるしかないですからね俺は。人類初とかはさて置いておいても。 そして朝比奈さんは俺の目の前から姿を消した。 昔だったら俺は意識を失わされているところだろうな。 第二章